Jurassic Plastic 2023
1960年鹿児島生まれ。京都市立芸術大学在学中演劇活動に没頭した後、地域社会をフィールドとした表現活動を志向し京都情報社設立。京都市内中心市街地や鴨川等を使ったアートプロジェクト「京都アートネットワーク‘83」の企画以来全国各地のアートプロジェクトの現場で対話とデモンストレーションを重ねる。同大学院修了後青年海外協力隊員としてパプアニューギニア国立芸術学校勤務。『野豚を追うヤセ犬』との出会いから独自の美に対する考え方を確信し88年帰国。土地再開発業者・都市計画事務所勤務を経て地域社会の構造を学習した後92年藤浩志企画制作室を設立。国内の河川や海岸周辺の低湿地帯あるいはアジア各地の地域を巡り、ヤセ犬と街を巡る『ヤセ犬の散歩』(88-96)、一ヶ月分の給料からはじまった『お米のカエル物語』(92-95)等、[地域・協力・適正技術]から発生する表現活動を志向する。89年に鹿児島に制作したMedia Garden『e-space』を拠点とした市民活動の挫折がきっかけとなり絵本「たけのはし」(1996)、複合ビル「e-terrace」(1998)を制作。97年に福岡に拠点を移した後、日本固有の地域活動とリンクしたシステム型の表現を試行錯誤しはじめる。紙袋の灯明をツールとした『博多灯明』(98~)、家庭廃材を利用した地域活動『Vinyl Plastics Connection』(99~03)、いらなくなったおもちゃを利用して子どもとの活動をつくる『kaekko』(00~)、「Polyplanet Company」(14~)、地域活動に重要な架空のキーパーソンをつくりだす『藤島八十郎をつくる』(10~)等、ズレながらも活動の連鎖を促すプロジェクト型表現の試行錯誤を行う。NPO法人プラスアーツ副理事長。十和田市現代美術館館長。十和田奥入瀬芸術祭アーティスティックディレクターを経て現在秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科・アーツ&ルーツ専攻教授。NPO法人アーツセンターあきた理事長、株式会社 藤スタジオ代表取締役
Jurassic Plastic
2015京都、シドニー、バンコク、東京他
かえっこで集まったおもちゃの破片やハッピーなセットのおまけで作った空間です。
01
僕はなぜだか龍が無視できない
2000京都、大阪、宮崎、福岡
河辺の低湿地帯で何度か水害に流されている。僕はなぜだか龍の存在を無視できない。ついつい作ってしまう。
02
Kaekko
2000福岡発祥国内全国各地、中国、台湾、韓国、タイ、オーストラリア、アメリカ、ドイツ、他
子どもの心を持った人だけが使える子ども通貨「かえるポイント」を使って子どもの遊び場を作るプログラム
03
博多灯明
1997福岡市、福岡市内各所、ほか全国各地
小学校跡地や河川敷、公園などを紙袋を使った豆苗で地上絵を描くデモンストレーション
04
2025カエルの池シンポジウム
1992東京、兵庫
人口の増加の問題と地球環境の変化について33年後の未来を予測するデモンストレーション
05
ヤセ犬の散歩
1988パプアニューギニア国立博物館、ほか
病気で毛がちぎれガリガリのヤセ犬がある時エネルギーに満ち溢れ、猛然と走り出す。その変化を目撃し、「美しさ」の本質を確信した。
06
ゴジラとハニワの結婚離婚問題
1985京都、神戸
07
鴨川泳いだ鯉のぼり
1983京都鴨川
京都市の三条大橋の下の鴨川内に1匹5mの自作の鯉のぼりを13匹設置したところ、数時間後に京都府土木局によって撤去されたというデモンストレーション
08