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活動報告

シンポジウム「創造の森 -地域&アートのコラボレーション-」
 

U部 パネルディスカッション「国内における地域&アートのコラボレーション」

   1月11日(日)15:15〜16:50)
パネリスト:竹田直樹氏(兵庫県立大学自然・環境科学研究所「淡路景観園芸学校」准教授)
土屋公雄氏(彫刻家、武蔵野美術大学客員教授)
進   行:高須賀昌志(美術家、埼玉大学准教授、環境芸術学会理事)

高須賀 第二部の司会・進行を務めさせて頂きます高須賀と申します。よろしくお願いいたします。
第二部では「国内における地域&アートのコラボレーション」として、お二人のパネリストをお迎えしてお話をさせて頂きますが、この「地域&アートのコラボレーション」というパネルディスカッションにあたって、学会で冊子を作りましたので先にご紹介させて頂きます。この冊子には、国内におけるプロジェクトの事例の主要なものが載っています。執筆はすべて環境芸術学会の会員によるものです。学会において、こういった冊子を作ることは当然のように思われますが、本学会は作家が多い集団でありまして、このような文章がまとまることがなかなか無かったのですが、今回竹田さんをはじめ会員の方々に、お時間の無い中で執筆して頂きました。
冊子を見ていただくと、このようにプロジェクト名などが、欄外に載っています。しかし、国内における全てが網羅されているわけではございませんし、またデータ等にも不備があるかと思いますが、「アート&地域のコラボレーション」ということを考えていく上で、良い参考資料になるのではないかと思います。お時間のあるときにゆっくり読んで頂ければと思っております。
ではまず本日のパネリストのご紹介をさせて頂きます。お一人は竹田直樹さん。竹田さんは兵庫県立大学自然・環境科学研究所准教授であられまして、日本のパブリック・アートあるいは彫刻の設置事業等についての著書がたくさんございます。最近はアートプロジェクトについて日本全国のみならず世界を股にかけて、とにかく自分の足で、自分の目でつぶさにご覧になっていらっしゃいます。このような評論をされている方の中でも、とても真摯に作品をご覧になっている方だと私は思っております。
もうひと方は土屋公雄さんです。土屋さんは彫刻家であられると同時に、現在、武蔵野美術大学建築学科の客員教授をされています。この金津創作の森にも作品が設置されており、今日もこちらの会場に入られる時、表にある鉄の巨大な彫刻をご覧いただいたと思います。土屋さんのお声かけが、今回こちらで大会を開催する一つの契機になりました。今日は、土屋さんが今まで携われてきたプロジェクトについて、あるいは金津創作の森について、また周りの街のことなども交えながら、会場の皆さんも交えてと議論できればと思っております。
流れといたしましては、最初に竹田さんから「地域&アートのコラボレーション」の直近の事例を色々ご紹介頂けるということで、30分ほどお話いただきます。その後、土屋さんからは会場とディスカスしたいというお話がありましたので、それは流れの中で自由に臨機応変に進めていきたいと思います。
つたない司会進行ですけれども、よろしくお願いいたします。では、竹田さんからお願いします。

竹田氏(以下、竹田) ご紹介にあずかりました竹田です。よろしくお願いします。それでは、冊子の「地域とアートのコラボレーション」にそってお話したいと思います。まず、3ページを見ていただくと「彫刻設置事業」の欄があります。ここではパブリック・アートについて解説しています。すべてを説明すると時間がかかりますので、要点だけお話します。
このパブリック・アートの設置事業というのは、1930年代生まれのアーティストが、1960年代の活動によって起動させたものです。そして、その流れに乗ったのは主として1940年代生まれと1950年代生まれのアーティストでした。彫刻設置事業というのがどういうものかと言いますと、分かりやすく言ってしまうと、ハードであり、パーマネントなものであり、公共事業に依存したものです。この3点があげられると思います。 
次にページをめくって頂いて、8ページからアートプロジェクトのパラダイムいうのが始まります。アートプロジェクトというのは、1960年代生まれのアーティストが1990年代の活動によって起動させたものです。そしてこの流れに乗っているのは、1960年代生まれと70年代生まれと、80年代生まれのアーティスト達です。そしてそれはどんなものであるかというと、ソフトであり、テンポラリーなものであり、民間の資金に依存しているものです。またごく一部の作家ですが、コマーシャルベースで海外での作品の販売に成功していて収入がある。そういった形の経済的な機能を持っているという特徴があります。
もう一回整理しますと、パブリック・アートのパラダイムというのは、1930年代生まれ、40年代生まれ、50年代生まれのアーティスト達が中心となっていて、アートプロジェクトのパラダイムは1960年代生まれ、70年代生まれ、80年代生まれが中心となっている。そしてパブリック・アートの方は、ハードであり、パーマネントであり、公共事業に依存しており、一方アートプロジェクトのほうは、ソフトであり、テンポラリーであり、民間の資金に依存している、というような特徴があります。
しかし、ここに二つの例外があります。一つは、これはどこにでもある話ですが、イレギュラーな人材です。例えば会社や学校などにイレギュラーな人がいるじゃないですか。そんな感じで、今言ったような概念と違う特殊な人達です。これはどこにでもいる人達です。それからもう一つの例外は、これは僕も面白い現象だと注目しているのですが、1950年代後半生まれの一部のアーティストの中に、パブリック・アートのパラダイムで活躍していたのに、その後のアートプロジェクトのパラダイムでも活躍している、つまり両方のパラダイムで活躍しているアーティストがいます。それほど数は多くありませんけれども。これはちょうど1960年の境目の人達です。その境目に属する世代で、両方で活動することになるということは当然ありえると思うのですが、ただ、そういう文化の展開や発展のプロセスを考えると、進化論的な感じがしてちょっと興味深いな、と僕は考えています。

東京・向島の状況。向島芸術計画2007成果報告展(2007年20月20日から28日)
作品は三田村光土里『編む女の棲む長屋』。会場:現代美術製作所(東京都墨田区)
さて、ここで僕は一つの仮説をご紹介したいと思います。地域とアートの関係についての歴史が、結局30年周期があるのではないかということです。つまり、パブリック・アートのパラダイムは1930年代生まれにより、アートプロジェクトのパラダイムは1960年代生まれの人により起動されたわけです。そうしたら、その次の3つ目のパラダイムを作るのは、1990年代生まれのアーティストということになってくるわけです。そして1990年代生まれのアーティストが、2020年代の活動によって3つ目のパラダイムを起動させるのではないかという仮説が浮上します。それが一体どういうものなのかは現段階では予想しにくいのですが、そのように次のパラダイムが来ることは確実なことだと考えております。
それで、僕が今申し上げた仮説が正しかったか正しくなかったかは、2030年代か40年代くらいにならないと分からないのです。歴史は振り返るという形でしか見られないものなのです。そうしますと、この会場にいらっしゃる20代前半くらいの方にぜひお願いしたい。もし2040年代になって僕の申し上げた仮説が正しかったら、僕はその時きっと80歳くらいになっていると思うのですが、ぜひシンポジウムにでも呼んでいただいて、昔話でもさせていただけたらいいなと思っております。というように、時間の流れというのは留まることが無く流れています。そこに無常感が漂っているわけです。



それでは、今日はそういった中でどの断面を説明・お話するか色々考えていたのですが、一番良いのは、まさに「今」、この「今」がいいように思います。けれども、「今」も時間は止まっていなくて、「今」こうしている間にどんどん時間は流れ去っていますが、まさに「今」についてお話したいと思っております。
まず、一つ目は、東京・向島の状況についてお話したい。向島では日常的に色々なことが展開しているので、ちょっと振り返りながら、お話します。それで向島って何?という話になるのですが、1945年3月10日の大空襲で奇跡的に焼け残ったがために、東京23区内では最も家賃が安い地域になっているのです。そのため1990年代から、アーティストやデザイナーなどのクリエイターが古い家屋をリノベーションするというような形で移り住む現象が起き、今、一つの、アートの新しい震源地のようになっています。これと全く同様な環境が、東ベルリンにあります。その東ベルリンの環境もまた向島によく似ています。
さて向島の状況ですが、これは「アサヒ・アート・フェスティバル」という2002年のイベントです。アサヒビール本社が近くにありますので、その助成が受けやすかったことが影響しているのかもしれません。これは2002年のアサヒ・アート・フェスティバルでのリクリット・ティラバーニャの『デモステーション』という作品です。画像のように前にステージがあって、その上で色々な人が料理対決したり、レクチャーしたり、様々なことをして、そういう人達・出来事自体が作品だという考え方に基づく作品です。ティラバーニャはタイ生まれでアルゼンチン育ちのアーティストで、コスモポリタンな人です。
これは、二人のアーティストによる料理対決の情景です。出来上がったものはチャーハンとかオムレツとかサラダといった平凡なものでした。
そして、これは向島で現代美術製作所を運営しているアートディレクターの曽我高明さんと、アーティストのパルコ木下さん、美術評論家の新川貴詩さんによるカッセル・ドクメンタの報告会です。
それから、いわゆるコミュニケーション型アートの典型ですが、コーヒーを入れながらコミュニケーションを図る、アーティストの白戸麻衣さんです。
次に荒川モードプロジェクト。これは2002年のプロジェクトです。この非常に細い、V型になっている薄い家。ここに住んでいるのがアーティストの井関信雄さんなのですが、彼は、この狭い6畳もないような部屋の中スケートボードをするというイベントを開催しました。写っているのが本人です。このイベントをするにあたって地域の住民と交流がありまして、結果としてその地域にある深刻な問題、例えば覚せい剤とか、小学生の飲酒の問題、これは覚せい剤の問題とセットになっているのですが、そういうことが分かりました。

東京・向島の状況。竹田直樹『森の素』展
(2007年10月11日〜11月5日)。
会場:こぐま(東京都墨田区)

これは、KOSUGE1−16というユニット、彼らはこのあいだの横浜トリエンナーレで大きなサッカーゲームを造った人達です。自転車を展示して、それに乗って青森まで行くという構想を展示していました。
ドイツのアーティストとの交流もあって、このときはちょうどワールドカップのドイツ対ブラジルの日で、それでサッカーに関するアートイベントをやろうということになりました。見た目には単なるサッカーなのですが、インターネットを使って50人を越える人が荒川の河川敷に集まりました。アートディレクターは曽我高明さんでした。
それから「私のお宝交換プロジェクト」。これはアサヒビールが行ったものですが、市民の持っている思い出のあるものを集めて、それにアーティストが手を加え加工して参加者同士で取り替える。そうすることによって、思い出が他のものに移っていくという手の込んだプロジェクトです。これは作品を展示することが目的ではなくて、参加者間で取り替えることが目的のプロジェクトでした。
それから、2003年には「向島自転車アート&ネットプロジェクト」というのがありました。北海道から来たアーティストの野上裕之さんによる『リンタクパフォーマンス』という作品です。これもコミュニケーション系のアートで、自転車の前に乗せた人とアーティストがコミュニケーションするというものです。この写真では子供が乗っています。これは僕が乗って振り返って撮影した情景ですが、エンジン音がなく静かなので、気持ちいい。
これは木村崇人さんのワークショップで、慣性力、つまり地球的な力を体感してみようというものです。これは、本当にやってみないと分からない、何かねっとりした力を感じるのです。回転させた自転車の車輪を持ち上げてみるというワークショップです。この写真の左側に居る人が、アーティストの木村さんです。これは、そのジャイロの原理を使って、犬の様に散歩できる自転車のパフォーマンスです。
それからこのとき参加していた、ライフスライス研究所という、会社ではなく、個人でやっているアーティストのプロジェクトです。これは5分間に一枚自動撮影するカメラなのですが、大阪で流行っている「さすべぇ」という傘をさす機械にこれを取り付けて、自転車に乗って、こういう風に撮影された写真を展示しています。参加者が居ないと成り立たない作品です。
そしてこれはKOSUGE1−16の、路地園芸を題材とした作品で、自転車の後ろに鉢植えが乗っているというところがポイントです。
これは写真家の中里和人さんによるワークショップで、「向島YEAR2004」の中で展開されたものです。向島には何故か夏みかんの木がたくさんあるのですが、この夏みかんと、向島の風景写真のインスタレーションです。この夏みかんは市民と一緒に収穫し、その後シロップを作って飲んでもらうのです。
それからこれは「曳舟発信局」という作品で、KOSUGE1−16と北川貴好さんのコラボレーション作品です。自転車をレンタルするプロジェクト作品です。この建物を駅前に造ったわけです。このように、ここで自転車を借りて向島を散策するのです。

広島市立大学芸術学部現代表現領域による旧中工場アートプロジェクトの「金庫室のゲルトシャイサー」展(2007年4月1日から22日)
作品は会田誠『新宿城』

向島にはこのようなオルタナティブスペースがたくさんあります。これは古橋良文さんが運営している「フルハウス」というオルタナティブアートスペースです。

それからこれはディレクターの曽我高明さんがディレクションしたパブリック・アートのプロジェクトです。アーティストと住民とのコラボレーションにより、この壁画を制作したのですが、そのコラボレーションのプロセスを小学校に展示して、壁画が出来るまでの物語をテーマとした映像作品を上映しました。
僕は淡路島に住んでいるのですが、僕の学校のゼミにいた卒業生の笹本雅美さんと上田博文さんの3人で展開したプロジェクトを紹介します。まず淡路島の海岸で海浜植物の種や根を採取しました。これはハマナデシコの根っこを取っているところです。この方は、僕の大学の同僚の園芸の教官で、ハマボッスとハマナデシコの種の採取の仕方を教えてくれているところです。こうして種を取って、植え方を教えてもらって、これがその種が発芽したところです。それを現代美術製作所という向島のギャラリーで、『さざなみフラワーショップ』という作品としてデモンストレーション展示しました。これは僕が描いた、この店の看板で、そしてこれが育てた植物です。かつては東京湾にもあった植物ですが、残念ながら今は無いはずです。そしてこのデモンストレーションの展覧会の後、実際に向島百花園の前で、プロジェクトを展開しました。コミュニケーションも作品の一部であり、種を採取して植物を育てるというプロセスについてはブログで公開していました。
これは向島の今年の状況です。2007年に「向島芸術計画」という企画がありました。これは三田村光土里さんのプロジェクトで、空き家になった長屋で一ヶ月に渡って住民と交流しながら編み物をするというものです。
それからこれは水内貴英さんと住中浩史さんという二人のアーティストのユニットによる作品です。ここに写真がいっぱいあって、これを回すと写真がパラパラと映画のように動いて見えるのですが、それらは住民に撮影してもらったものなのです。
これは私の『森の素』という作品です。淡路島の山で採取した樹木の種を発芽させたもので、かつては向島や東京を覆っていた森の木であるクスやネズミモチなどです。会場は最近出来た「こぐま」というカフェで、ここが新しい向島のアートの拠点のひとつとなっていて、様々なアートの展覧会を行っています。
以上が向島の状況です。今の最後の展覧会は、先週までやっていましたので、最新の向島の断面といえるでしょう。

 次は今年の4月の話題ですが、広島市立大学の芸術学部が、アートプロジェクトを展開しました。「旧中工場アートプロジェクト」というものです。実際には3つの展覧会で構成されています。その一つが、この旧日本銀行で開催されていて、プロジェクト全体は、広島市立大学が、美術大学として地域にどう貢献するのかということがテーマでした。

これは柳幸典さんの作品です。柳さんは現在この大学で教官をしています。これは憲法9条をテーマとした柳さんの代表作のひとつです。これも柳さんの作品で、皇室をテーマとしています。これも柳さんの作品で、ウルトラマンと日章旗をテーマとしています。これも柳さんの作品で、日本銀行という会場を意識し、お金をテーマにしようということで、一万円札の中をアリが這ったという作品です。これは会田誠さんの『新宿城』というダンボールハウスの作品。 それからこれは柳さんが、参加したアーティストにフィーが支払えないということから考えられた作品で、株券のような版画です。実際、参加したアーティストに配られました。その後ろにあるのは淀川テクニックのごみを素材とする愉快な作品です。

上田博文+竹田直樹による『ヒロシマのために』パフォーマンス。(旧中工場アートプロジェクト)

これは私と上田博文さんのコラボレーションによる『ヒロシマのために』という作品です。6台の一輪車の上に、被爆夾竹桃が載っています。広島には被爆樹木というものがあって、それを挿し木して増やしたものを使いました。日銀の中庭に展示していたのですが、このように押してどこにでも持っていけるので、ボランティアの方と一緒に6人で、平和記念公園に行ったり、原爆ドームに行ったり、繁華街に行ったり、地下街に行ったりしました。そして最後に、広島の吉島地区で、こういう小さな庭になったわけです。このキョウチクトウは現在すでにかなり大きく生長しています。今度それを使って被爆夾竹桃の森を作るプロジェクトをしようと思っています。
これは柳さんの依頼により制作した『資本主義の庭』という私の作品です。旧日本銀行の地下の金庫室の書庫にふさわしい作品を作って欲しいという依頼だったものですから、お金にまつわるものということで、「100万円を1億円にする方法」とかそういう本を、ブックオフという国道沿いにある古本屋で一冊100円で大量に買ってきて、その本に穴をあけ、その中に、マンリョウ、センリョウ、ヒャクリョウ、カネノナルキというお金にまつわる名前の植物を植えたという作品です。
これは沖縄の基地をテーマにした、照屋勇賢さんの作品です。沖縄の大学にヘリコプターが落ちた事件をワークショップにより表現しています。
これは豊嶋康子さんの『口座開設』という作品で、豊嶋さんが自分で銀行口座を開設し、大量の通帳とキャッシュカードを集め展示しました。
それからこれはあいだだいやさんの、一万円札100枚をガラスに閉じこめた作品です。オークションに出品したところ31万円で落札されたということです。ガラスの中から札を取り出すには100万円以上かかるそうです。
これは太田三郎さんの切手の作品です。
これは赤瀬川原平さんの『大日本零円札発行所「零円札」』です。
これは、ミヒャエル・オットーさんの『guard in the woods』という映像作品で、森の中の一本の木の警備を警備会社に発注して、警備員が二人来て警備しているところを撮影したものです。

 そして最後にご紹介したいのがBIWAKOビエンナーレ。BIWAKOビエンナーレは今現在、開催中です。11月18日までです。ですからぜひ明日、この帰りにでもおたちよりください。
これは小板橋慶子さんの繭で作ったインスタレーションですね。繭をほぐして作った作品です。

住民からもらった植物を用いて庭を作った北川貴好の『吉島庭園プロジェクト』
(旧中工場アートプロジェクト)

これは田中哲也さんの彫刻です。
BIWAKOビエンナーレというのは、空き家になっている大きな町屋をアートプロジェクトによって見直そう、というのがテーマです。ですからこういう民家を使って色々な作品が展示されています。
この斉藤寛さんの写真作品は、長男が仏壇の前に座っているところを集めた面白いシリーズです。
これは私の作品です。石灯篭がたくさんある庭があって、それは近江商人の欲望の痕跡なのです。そこで、これに現代の欲望を追加し、『欲望を追加した古い庭』というインスタレーション作品にしました。石灯籠の火袋の中に小さなプロダクトを入れています。どんな欲望かというと、「いかした女の子と一緒にイチゴパフェを食べてデートして、ダイヤの指輪をプレゼントして結婚し、パリに新婚旅行に行き、洋風の家に住み、そこには白いベッドがあって、オープンカーに乗る」というものです。

BIWAKOビエンナーレ2007(2007年9月30日から11月18日)。
会場:近江八幡旧市街地,作品は竹田直樹『欲望を追加した古い庭』

井上信太『ひつじかいプロジェクト』(BIWAKOビエンナーレ2007)

これは市川平さんの巨大なゆっくり回転するクリスマスツリーです。
この石田智子さんの作品は紙縒りでできていて、すごく綺麗なものです。
これはガブリエラ・モラウェツさんの繊細な作品です。
これはガブリエラ・モラウェツさんとパンチョ・キリシさんのコラボレーション作品で、人の内面をテーマとした映像インスタレーションです。
これは西田明夫さんの工芸作品ですね。
それからジャン・ピエール・テンシンさんの修行をテーマとしたパフォーマンスの写真作品とインスタレーション作品です。
それから井上信太さんの『ひつじかいプロジェクト』です。
これは大舩真言さんの蔵の中で日本画を見せる作品ですね。光との関係で出来ている。
今まさに開催中のプロジェクトです。もうちょうど時間になりました。以上は、今、ただこうなっているという話で、結論があるわけではなく、それだけの話でした。

高須賀 竹田さん、ありがとうございました。続きましては、ちょっと予定を変えまして、お二人に壇上に上がっていただき、今の竹田さんのお話と先程のピーター・マレーさんのお話も含みながら、地域とアートということについて、少し話をしていきたいと思います。
先ほどのマーレーさんの話を伺うとイギリスでは、あのような素晴らしいヨークシャーの美術館から、街の中にアーティストが飛び出して、住民に寄り添っていく。一方で今、竹田さんからご紹介あったように、非常にユニークな作品が地域住民の心を刺激したり、あるいはアーティストもその場に立ち入ることで影響を受けて、面白い作品が生まれるのだろうということが想像できます。二つの地域と芸術の関係性が読み取れるように思われます。
では、簡単ですが土屋さんのほうからご自身の作品の紹介などをお願いします。

土屋氏(以下、土屋) 今回のお招きで、高須賀さんから少し作品について話をしてくれないかということを受けました。多少、私の作品の映像を用意してきたので、それを見ながらお話をしたいと思います。

『永却』
1990 ヴァシビエール現代美術館、フランス

今日、朝起きましたら、雨が降っていました。先ほどからこの会場にも雨音が響いています。私は福井で生まれましたが、実は、雨は私にとって嫌な思い出です。学生の頃、なんとかして福井を出よう、一日も早く、この重苦しい雨の多い福井を出る為にはどうすればいいかと毎日考えておりました。今朝雨が降っていて、そして今日シンポジウムがあることを考え、自分とアートの関わりの中で、この雨が実は大きく作用していたことを思い出していたのです。

その福井を出るときに、自分が美術と関わる上で大きな出会いがありました。今日皆さんにお話をするつもりじゃなかったのですが、ぜひ名前を覚えて帰って頂きたい人物が居ます。今日ここにお集まりの学会の皆様は聞いたことがないかもしれません。土岡秀太郎という人物です。彼は明治28年に生まれて、大正・昭和と、この福井を舞台に活動されました。彼は当時、福井があまりにも文化的に遅れていたところであったため、何とかその遅れを取り戻すために、芸術を持ち込んできた人なのです。彼は若い芸術家をバックアップすることに始まり、中央から色々なアーティストを福井に連れてきました。例えば福沢一郎だとか林武、三岸好太郎であるとか、当時活躍していたアーティスト達を福井に呼び、レジデンスをさせ、展覧会を開く。大正・昭和初期にそういうことをした人がおりました。彼は自分の資産を投げ打って、当時、小さなギャラリーというか、今で言う文化センターを駅前に造って、そこで、あか抜けない、ハイカラでもなんでもないこの街に、何とかして芸術・文化というものを根付かせるために、そういう活動を行ったのです。
『記憶の場所』 1999 箱根彫刻の森美術館 『揺れ動く境界』 2000 ヘルシンキ
『石造の暦』 1991 グライスデェール、イギリス 『記憶のかたち』 2000 金津創作の森
 

実は私、高校生の頃、何とかこの福井をとび出したいと思っていた頃、土岡氏と出会ったのです。当時私は高校の美術部で絵を描いており、彼が企画する展覧会に作品を出品したのです。そこで私は幸運にも賞をいただき、氏と直接お話をする事が出来たのです。氏はあごひげをたくわえた白髪の老人でしたが、彼は私の作品を前に「そうか」と言って、「どんどん芸術をやりなさい」というアドバイスを頂きました。私の父と母、今はもう居ないのですが、芸術の事など何も知らなかった父と母に、土岡秀太郎さんにそういう事を言われたのだと話をしましたら、大変喜んでくれて、それで何となく美術の方向に傾いていったという出会いがありました。
本当にこの福井というところは、弁当を忘れても傘を忘れるなと言うくらい雨が多くて、しとしと、しとしとと、まさに今日の天気は福井だなと思いながら、ただこの雨は皆さんを迎えてくれているのだと思い、このシンポジウムを聞いておりました。
そういう方がかつて福井にいらっしゃいまして、その方がいたことにより、この創作の森というアウトドアな空間を持った美術館が出来たのだと思います。突然にこの創作の森が立ち上がったわけではなくて、色々な人の礎があって今日の創作の森が生まれ、そしてこのような芸術学会の多くの皆さんにここで第八回大会を聴いて頂けるようになった。そして色々な方に来て頂いて、メディアも学会も含め、様々な企画を取りあげながら、本当に芸術や文化等が必要なのかということについて考えていく。こういう機会を得られて、やはり、かつて土岡秀太郎という男がいたということを、今日、雨の音がきっかけで思い返していました。
それで、今もこの竹田さんのプレゼンテーションを聞きながら、学会以外の方、今日初めてあの様なプレゼンテーションをご覧になって、どういう感じを受けたかなぁと思いました。「これがアートなの?一体アートって何?よく分からない・・・」と思われた方もたくさんいらっしゃるかと思います。私も今拝見しながら、確かに視覚的に訴えてくる作品もある、あるいは身体的に、また色彩的にも訴えてくる作品もきっとあるのだろうと思いましたが、説明が無いと分からない作品もかなりある。多様な表現の時代になってきた。いわゆる彫刻家が彫刻を作るということだけではなく、様々な表現が実は存在している。僕はそのことはとてもいい事だと思うのです。その作品に芸術性があるとかないとか、それは時間が決めていくでしょう。消えるものは消えていく。残るものは残っていく。

『時の知層』 
2002 和泉市、大阪

やはり日本の社会の中では、芸術というものが特別に扱われているという事で、なかなか受け入れられていかない。芸術には特別な人達だけの喜びみたいな部分が未だにある。こういう社会構造になっていますから、美術といっても文脈だけではなく、また自分の中で吸収される表現としてだけではなくて、もっと社会への果たすべき役割を考える時にきていますので、さらにそこに意味が発生してきているというようなことを、今、竹田さんのプレゼンテーションを聞きながら感じました。

今回、学会大会をあわら市で開催いただいて、趙さんはじめ、学会の皆さんにあわら市の町歩きもしていただきました。今回のテーマも「地域における芸術と文化」ということですから、ぜひ町歩きされた皆さんに印象というかご意見というか、その辺を伺いながら、お話を進めていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


高須賀 町歩きについては先ほど土屋さんからそうしたお話があって、それは面白いと思いました。
実は昨日の午前中に学会員約30人で町歩きワークショップを行ないました。駅前の空き店舗を町づくりの拠点にしているNPOがありますが、そこに集合した後、携帯電話を片手に町に繰り出して、気になったこと、面白いこと、あるいは嫌だなと思ったことを携帯で撮影して、画像をその拠点にメールで送り、最後に皆で集まって壁に映し出された画像を見ながら、どんなことが考えられるだろうかとディスカスするものです。最初は上手くいくかなあと心配でしたが、たいへん面白い取り組みが出来たと思っています。趙さん、後ろのほうにいらっしゃいますね。ちょっとそのときの感じたこととか聞かせてください。

 では、昨日参加された方もいらっしゃるので、その方にとってはだぶる話になるかもしれないのですが感想を申します。今回私達がそのようなプログラムを企画した理由は、これだけ素晴らしい施設で学会の大会を開催して頂いて、何か学会としてこの地域に対してできることはないかということでした。今回作りました事例集もその一つですが、もう一つは私達が町を歩いてみること。外から見たものが、たかだか1時間歩いて何が分かるかというご指摘もあるかと思いますが、逆に言うと短い時間で気が付いたことというのは意外と芯をついているかもしれないという期待もあって、昨日1時間ほど歩きました。それぞれアーティストの意識で見たり、色々な立場から見ました。
私は実は大会の準備のため何度がこちらに来ていましたので、町づくりNPOのAwarartの方達からお話を聞いていましたし、あわら市の成り立ちについての前知識もあったのですが、私が昨日すごく感じたのは、畑の中に突然出来た温泉街ということで、他のいわゆる温泉街とは違って、温泉旅館・ホテルさんと、一般の民家が混在しているということです。
私達、外から来るものにとって、温泉街にはこうあってほしいなぁというイメージがあるのですが、実際に普通に民家で暮らしている人達が旅館街に混在する中で、どういう街づくりが可能なのか、ちょっと他と違って難しいかなと感じました。温泉街で旅館を経営することによって経済的な利益を得る旅館と、そこで生活する一般住民の方が、共に町を良くしていくことで、お互い利益を還元できるような、何かそういうことを考えていかないと、旅館街としてだけでは明確ではないかと。それほどあちこち温泉街を知っているわけではないのですが、かなり特殊な温泉街なのかなと感じました。
環境デザインをされている先生が、せっかくの温泉街なのに水を生かしていないとご指摘されていたり、車が多いということ、路駐している車が多くて人が歩きにくいとか、そういう指摘があったことをご紹介させていただきます。

高須賀 ありがとうございます。どうですか、今の指摘は。

土屋 ええ、実は、実行委員長の國安さんがパーティーのときにお話されていたのですが、意外と地元の人には燈台もと暗しといおうか、見えていない部分があるんですね。ですから、そういう地域が潜在的に持っている可能性のようなものがなかなか見えてこない。そこにアーティストという人間が関わることによって、今言ったような地域の歴史文化的文脈の中から、素材や形が見えてくるということがあると思います。たぶんそれらは重要な要素になるでしょう。
アートとはそれを受け止める側の問題でもあるのです。本来アートとは人間の心の奥を元気にするものです。そしてその力を現代社会に対して、どうにか発揮できないだろうかというふうに思っています。ですから、例えば今ここで趙さんがお話されたことも、本来ならば、地域の方とディスカッションするというか、作家側だけで話をするのではなくて、そうするとまた具体的なものも立ち上がってくるケースもあるだろうと思います。

高須賀 竹田さんは先程ご紹介いただいたように、まさしく住宅街の中での色々な展開をしたり、様々なケースをご覧になっていると思いますが、例えばあのようなアートプロジェクトが実際の住宅街の中に入っていったり、あるいはその住宅の住民との関係を持っていったときの反応というか、ご自身の経験で結構ですので、お話して頂けますか。

竹田 そうですね、例えば先ほどのBIWAKOビエンナーレ等に代表されると思うのですが、アートは街に出て人々とふれあいをはじめています。僕はかつて宗教が果たしていた役割を、アートが現代社会で果たし始めているのではないかと最近考えています。ハンス・アビングの「金と芸術」という本が和訳され出版されて、その中で宗教と現代アートの関係性について繰り返し類似点が指摘されているし、最近、ベルリンにある美術大学に芸術社会学という専攻ができているのですが、そこの論調も宗教と現代アートの関係がかなり考えられているようです。
このようなことがあるからというわけではないですが、おそらくこれから現代アートは地域に出て行くにあたって、やはり宗教的な要素を持つことになるように思います。宗教は人が生きていく上で必要なものなのですが、例えば、今亡くなられている世代の方は、ちゃんと宗教的な基盤をお持ちの方が多いと思うのですが、私達の世代になるとお坊さんを呼ぶにしても自分の宗派が何だか分からないという人は当たり前だと思うのです。そんなように宗教を失ってしまったままで生きられるのかという問題があって、アートが地域に出て行くというのは、宗教が村や町に浸透していくのに似ているのではないかと、そんなふうにちょっと感じています。

高須賀 宗教の話にまでいくと、非常に難しいと思うのですが。

土屋 いや80年代にも、美術館が教会の役割を果たせるのではないかという議論もありましたが、僕はそんなことは有り得ないと思っていました。
先週、私はロンドンに行っていたのですが、今まで見てきたイギリスの20年30年とは全然違う勢いで、先程ピーター・マレーさんの話にも出てきましたけれども、アメリカあるいはドイツからの資本がアートマーケットに入ってきていて、ギャラリーの数もたぶん倍以上になっているのではないかというくらいです。そのギャラリーの作品が売れているんですよ。こんな高額で売れるのかというくらいの値段で売れている。街の中にも、それこそ東京でいうならば銀座のど真ん中に、こんな巨大なインスタレーションを実験的に造れるのかというようなところで、実験というか作品ができている。

片方で日本では美術館が潰れるのではないかという不安な話で、何だか日本のアートが元気がないと私なども感じているのですが、これって何なのだろうと考えていくと、やはり日本の美術はアートやアーティストに対しても、美術界の外側に美術を支える構造がないんですね。ですから、先程のピーター・マレーさんのお話を聞いていて常々羨ましく思うのは、そういう構造があるという

こと、やはりそれは社会の成熟度というか、そういうものなのだろうなあと思いながら、20年30年見てきて日本はどうだったのかと思います。単発では作家達が出ていますよ。しかしそのバックアップ体制として、何があるのかと考えると、なかなか支えきれない、継続できない、そういう状況があります。

高須賀 先ほど日本には芸術を支える社会の構造が無いというお話があって、一方でアーティストが「それじゃあ」と言って、街の中に出ていったり、住民の中に入り込んでいく。非常にゲリラ的にやっているわけですよね。逆に、先程おっしゃっていたヨークシャーのように、美術館という巨大な箱を、時間をかけて育て、まるごとある種売り出していくという例がある。
環境芸術の「環境」という言葉ですが、もちろんその中にパブリック・アートがありますが、先程竹田さんからお話があったように、それがどうも変わってきつつある。もちろんパブリック・アートというものは残るでしょうけれど、それとは違うパラダイムが出来てきて、それが「地域とアートのコラボレーション」という形になって、アートプロジェクトが様々なかたちで出現してきている。この事例集を見ていただければ分かりますが、学会の中にも、予算もない、時間もないというところですごく苦労されて、色々なアプローチをしているアーティストがいます。それはぜひ皆さんご覧になって頂きたいと思います。
そのフィールドは、例えば病院であったり幼稚園であったりします。また今、大学では、先ほど地域連携の話が出ていましたけれども、国立大学は独立行政法人化されて以来、地域と結びつかないといけないという流れがあります。新潟大学なども、先々週シンポジウムに参加させていただきましたが、それはもう大変な思いをしていて、非常に厳しい条件のなか成果を上げられていてすごく頑張っているなあという印象を受けました。また神戸のほうは、午前中、大森先生が発表されていましたが、あれも実は「神戸市」と言いながらも、すごく予算が少ない中で、本当に手作りで頑張ってやられているなあと思います。大森さんいらっしゃいますか?少し神戸のお話をしていただけますか。

大森 有り難うございます。今日、学会の皆様に御礼を申し上げさせて頂きました。神戸ビエンナーレの場合は、いわゆる「地域」というか「地方」という考え方とは方向が違う次元かと思っております。それは例えば、外部から著名アーティストを持ち込む、または外部から既成のアート概念を持ち込んで、地域や地元の人を助け出していくという方法ではなく、その地域に根ざして育まれている自生の芸術観を尊重したり、地元のアーティストとパートナーでイベントを発表していけるような形も取ろうとしました。
その代わりギャラリストの見本市にはならないでしょうし、コマーシャライズされたキュレーターの立場からすると、ちょっとつまらないものかも知れません。ただ、「地域らしさ」イコール「ローカリティー」というわけではないので、何を中心にしたかと言うと「地域らしさ」ですね。その都市固有のアイデンティティを出せるものを「芸術」の事業として行おうとした、ということをお話しました。
高須賀 有り難うございます。そうしたときにじゃあ、「あわら」の“らしさ”って何だろうという話になると思うのですが、竹田さんは「あわら」は初めてですか。

竹田 そうですね、でも僕は、地域計画の仕事もしているので、福井市の緑の基本計画の策定などもやったことがありますので、結構そういうことは知っています。

高須賀 どのような印象をお持ちですか

竹田 うーんそうですね、新幹線が通ってない県庁所在地は、僕は恵まれていると思っているのです。新幹線が通ってしまったら、他の都市と同じになってしまう。福井という地域のアイデンティティを維持しやすい状況が今あるのではないでしょうか。

高須賀 新幹線が通ってないというのは、一般的な考えからすると、マイナスだと思われますが、面白い視点だと思います。たぶん住まわれている方々にとっては、新幹線が通って経済的にも豊かになりたいという思いがあると思いますが、一方でアーティストの見方として、「いや、新幹線が通っていないからいい」という言葉が出る。結構新鮮だと思うのですが、そんな言葉の中に、ある種アートの、先程もピーター・マレーさんも言っていた、「アートは何かを変えてくれる能力がある」という、そういう話に繋がってくるのかなぁと思います。
今回、環境芸術学会でこのシンポジウムを開催させて頂いて、何かいい提案を残していけるかというとなかなか難しいですが、こういう訳の分からない、先程の口頭発表にも訳の分かるものも分からないものも有ったと思いますが、驚きであったり発見であったり、ある種のひらめきだったり、そういうものをいざなっていくということ、地域に対して様々な、そうしたものを追求していくようなことが出来るのがアーティストでありアートなのではないかと思います。土屋さんは今まで色々なさっていて、地域を廻られることがたくさんおありだと思いますが、その中で何か言えることはありますか。

土屋 やはり、プロフェッショナルが必要でしょう。あの、アーティストが何か語るよりも、仕事に関するプロフェッショナルが必要なのでしょう。先程、イギリスのロンドンの話をしましたけど、だからってイギリスが全面的にすごいとは思っていません。竹田さんのプレゼンテーションを見ながら、若者が楽しみながら街の中を歩き、クリエイティブしている姿を私はとても好きだし、日本には多くの新旧の多様な文化的リソースというのが在るのだと思います。そこでやはりアートというのは、どのように捕えて、あるいは掴んでいくのかというのは可能だと思っているし、次の若い世代の人達にぜひそれを力にして、支えていってもらいたいという希望がありますから、決して悲観的な話をしたわけではないのです。
ただアートが、単体で何が出来るかという時代だと思います。色々な関係があるわけですけれども、色々な人間がそこに関係性を結んでいくということが必要で、アートがその媒体になっていく要素が多分にあるのではないかと思うのです。ですから、実際に仕事をさせていただきますと、アートの文脈では考えられないような世界もアイデアとなって、なるほどな、というところが多分にあります。ネットワークを作っていくということも大切でしょうし、そのネットワークを作る上でも芸術文化というものがコアになるような、行政の輪を作っていくというか、そういうことも準備として必要じゃないかと思います。
比較的、日本にはアートセンターというものがありませんが、私はアートセンターというのは美術館ではなく、ギャラリーでもない、とても地域に根ざした文化施設だと思います。ここ創作の森はアートセンターの役割も持っていると思うのです。ですからこういう色々なプロジェクトがあって、そこに色々な目的を持った人達が集まってくるというもの。

ここに人と人とが集うということがまたすごく大切で、昔は、それこそ先ほどの話じゃないですが、お寺でなくても行くところがたくさんあったのです。そこでお説教を聞いたり、今の人間にそういう場所はあるのかというと、無いんですね。パチンコ屋へ行ったり、子供はゲームセンターみたいな所になってしまうというか。ですから社会的な役割として、やはりこういうアートセンター的な場所が、人と人とが集う場所としての役割を持って頂ければ、そこで何か新しいクリエイティブが生まれるんじゃないかなと、そういった意味で期待をしております。

高須賀 もう一つ話題として、先程マレーさんから、いわゆる学校制度に組み込んでいくようなエデュケーションプログラムというお話が出ました。お二方とも大学で教鞭をとられています。この中にも教育に携わってらっしゃる方々がたくさんいらっしゃいます。いわゆる学校制度、あるいは大学生に対して、あるいは教師に対するプログラムの話も出ましたが、そういうことについて、竹田さんのお考えというか、実際大学で取り組まれていることは有りますか。学生がアートで地域に出ていくというような。

竹田 先ほどの話の中にありましたように、広島市立大学が地域に対してどう貢献するのかという問題意識を強く持っていることがあります。広島市立大学は広島市のちょっと郊外にあり、学生も教官も地域と触れ合う機会が意外と少なく、市民からしても市立大学の存在は薄いものになりがちです。美術大学は単に美術に関する専門教育を提供するというだけではもったいない。もっと別な形で教育を超えた、地域に対する貢献を果たさなければならない。教育以外にも地域に対していっぱいできることがあるのではないかということです。
このことは重要で、美術大学にとっては、大変大きなテーマだと思います。教育だけしていればいいという時代は終わってしまっている。一方で、先ほどの研究発表会にあった小学生を対象にしたワークショップの話題ですが、僕は大変興味を持ちました。こういうこともいうまでもなくアートが果たさなければならない重要な役割だと思います。それは、すごく重要ですが、先ほど土屋さんが発言されたように、アートは現代の新しいお寺を造る。それもまた本質的に重要だと思っています。

高須賀 今の、大学でのエデュケーション、教育というお話の中で、例えば、子供に対するサービスとして捉えるのか、あるいは芸術・文化の裾野を広げると考えるのか、立場によって考え方も様々であると考えられます。そうした立場から、小さい子供に美術に親しませるプログラムといったワークショップに対して、土屋さんはどうお考えですか。

土屋 私は学会のメンバーではないのですが、今回こういう機会で、学会という組織ではなく、個々に色々な人達に出会いました。昨日もお酒を飲みながら、病院におけるアートを媒体としたケアーの在り方、役割みたいなものをなさっている方とお話をしたり、今日はずっとパネルを拝見しながら、実に色々な方がこの学会にはいらっしゃるんだなあと思って、とても興味を持っていました。
実は今、トヨタなどの企業がNPOの芸術家と子供たちとのプロジェクト、子供がアーティストとの出会いを通じて、多用な価値観や感性を育む事を目的とした「トヨタ・子供とアーティストの出会い」をスタートさせています。この企画などは、アーティストが関わることによって単に美術を伝えるのでなくて、本質的なところは、生きることの喜びを学ぶと言うか、学校教育では1+1=2になると教えるのだろうけれど、1+1は3にも4にも100にもなるというのが、アートだと思っています。行き詰ったときに、極端な話、簡単に死を選んでしまう人間じゃなくて、もっと強い人間に育てるという意味でも、アーティストが創造を通じて社会に貢献していってもいいだろうと思うのです。その中心にあるが、クリエイティブということだと私は思います。ですから、そういう意味でアーティストは重要な職業かなと私は思ったりしています。
学会の方々は、それぞれ専門の世界でそういうことをしていらっしゃるのだから、昨日のお話などもとてもユニークだったのですが、それぞれの人間が集まってお酒でも飲みながらお話をして、その中に意外とこれからの新たな役割・方向性のようなものがあるかもしれないし、具体的に美術でなくてもいいのではないかもしれないと私は思っています。

高須賀 そろそろ時間も無くなってきましたので、少し会場の声も聞きたいと思います。色々なご質問もあるかもしれませんので。お二人に聞きたいことがありましたら、挙手をしていただければと思います。それでは後ろの方、お願いします。

質問者 東京から来ました伊藤と申します。僕も地域とアートのコラボレーションで苦労している一人です。実は2003年に環境芸術学会の大会が福島・小名浜で開催され、「町と環境アートをコラボレーションする」をテーマに行い、町の中でアートの展開等、色々やりました。そのとき環境芸術学会の大会がこの町で開催されるということがベースになって、地元地域の人達が協力的に参加してくれました。それがきっかけで、「小名浜国際環境芸術祭」というアートイベントが立ち上げ、盛り上がりました。しかし、環境芸術学会の大会が終わって翌年からは地元の中心メンバー達が参加しなくなりました。やはり地域の人達はあまりアートに関心がないのだろうか?いくらアーティストが頑張っても地域がそれに付いてきてくれないと成立しないということがよく分かったのです。
ただここまで築き上げて来たものをこのまま終わらせるわけにはいかないので、毎年、その地域で芸術祭を行い続けていきました。その中で、実は「地域の人が興味を持つアート」というのもあるのではないかという事を思いました。そこは港町ですので、「大漁旗」をモチーフに、それをデザインとアートして捉えて展開していったのです。環境芸術学会の会員の方にも協力して頂いて、オリジナルデザインの大漁旗をデザインしたり、国際コンペでデザイン大漁旗を募集して制作したりしました。その中で、地元の小学生1200人に大漁旗の絵を描いてもらいました。そうすると、地域が港町でおじいちゃん達が昔漁師でしたから、大漁旗ってこうなんだよ、こういう風に描くんだよ、と絵を描いたこともないおじいちゃんが子供に、孫に絵を教えているんですね。
こういうことが、もしかすると「地域とアートのコラボレーション」ではないかと、アーティストでなくても絵を教えている姿というのはすごく面白く思いました。何かそういうところから、きっかけが生まれてくるのかなと。
今話を聞いている中で、地域性を生かしてアートのきっかけをつくるというところで、竹田先生の広島の作品もそうですけれども、地域性とアートの要素というものを見つけ出していくという事も一つの方法として有るかなと、今のお話を聞いて感じました。

高須賀 ありがとうございます。どうですか、今のお話は。

土屋 時間がかかるよね。芸術文化というのは結果を出すのにものすごい時間がかかる。だからある意味で長期的なビジョンというのが必要でしょうし、ある程度中期的に結果を出していかなくてはいけないと。さらに短期的に一人でも多くの人を納得させていくという、そうやって仲間を作りながら、大きい長期的なビジョンに向かっていくということだろうなと思っていますし、私はそういうことで変えられると思います。やはり楽しいと思うことが大切だと思います。我々自身がアートを難解なものにしてしまった責任はあるのだと私は思います。だから、もう一回それをほどいてやる、難解なものをほどいてやることも必要かなあと、そういう作業も片方では必要かなあと思っています。知識のある人には見えるけど知識のない人には全く見えてこないっていうのが現状じゃないかと思うのですが。

高須賀 ありがとうございます。竹田さんは、今のお話受けてどうですか。

竹田 現代アートが難解に思われてしまうというのは、僕は誤解だと思います。古典芸術は、例えば過去のキリスト教の作品はキリスト教のことを知らないと分からない、その時代背景も知る必要がある。古典芸術というのはそういうものなのですが、現代アートというのは現代の文化に乗っているものなので、何の勉強もしなくても分かるはずです。本来一番分かりやすい、一番楽しみやすい、一番興味をもちやすいアートであるはずなのに、それが難しくて訳の分からない、これがアートといえるのかとなど言われてしまうところに問題があると思います。
あと少し時間があればご紹介したかったのですが、徳島県で「上勝アートプロジェクト」が現在開催中です。ここでは上勝で農業や林業をしているおじさん・おばちゃん達が、何百人、何千人というオーダーで、アーティストと共働して、作品を制作しました。むしろアーティストが作ったというより、それらの作品はおじさん・おばさんによって作られた。それを見てすごく驚いたのですが、上勝町のおじさん・おばさんにとって現代アートは全然難しいものでは無かったわけです。どうしてそういう現象が上勝で生じたのかというところは今後考えなければならない問題だと思います。ちょっとした一言で言えるような魔法のような言葉があって、それにより、現代アートは難しいものではなくなるのだと、僕は思います。

高須賀 そうですね、なかなか答えが出せそうもない話ですが。でもやはり、先ほどのお話の中に、「分からないものを分からないままにしておけば」とか、「どうせ分からないままでしょ」ということでは済ませられない、意思疎通というか、何らかのコミュニケートをしていくことで、分かるものにしていく、あるいは共同してやれるものにしていくということが大事であるということですね。常にコミュニケーションということが大事なことなのだろうと思います。もう一人くらい、どなたか。どうぞ。

質問者 大変興味深いシンポジウムで、今日は充実した時間を過ごさせていただいています。土屋さんに質問させて頂きたいのですが。先程、福井の雨のエピソードをお聞きしながら、私も兵庫県の姫路に住んでいまして、一度大学に受かって外に出て、それからまた戻ってきまして、こっちのほうでやっているのですけれども、一部の大都市出身の方以外は日本の国内において、アートを勉強したい、やってみたいとなるとどうしても一度はその故郷を離れる。そしてその後、故郷というものを自分なりにどう捉えていくかという、そこにアーティストとしてどう関わるのかというのが、必ず出てくるテーマになるのではないかなと思います。時代がこういうふうになって、ますますそれが強くなってきているのでないかと私なりに感じています。そういった点で、土屋さんは私の世代にとって非常に憧れのアーティストの一人ですし、今もそうなのですが、今、創作の森に関わられたりということも聞いていますし、個人的に、これからどんなふうに福井と関わっていかれるのか、また地方・地域のアーティストとしてどうやって環境を作っていこうと思っていらっしゃるかも教えてください。

土屋 ありがとうございます。先ほど少しお話が中途半端になってしまったのですが、朝のこの雨に始まって、先ほどのような話になるのですけれども、実は今、私がここに関わっているのも、あんなに嫌いだった福井が、やはり歳をとるというのはこういうことかなと思うのですが、この福井が気になるのですよね。夏目漱石の言葉に「人間にとって一番悲しい人間というのは、所在のない人間である」。これは、所在というのは帰る所、帰る所がない人間というのは人間として一番悲しいことだと漱石は言っているのだけれど、単なる“場所”を指しているわけじゃないと思うのです。所在とは心に内在したものだと私は思います。
これは北川フラムのやろうとしたこともそうじゃないかなと思うのですが、現代の我々の所在はどこに在るのか。果たして帰る、具体的な場所ってことだけじゃなく、心の拠り所としての所在がなくなってきているのではないかと。どんどん心の故郷までもが過疎化していって無くなってしまう。ですから、彼もどこかに精神的な帰る場所をつくろうとしているのではないかなと思います。私も10年続いた妻有を見てきました。それは単に新潟県出身の人のための所在ではないのですね、私も別に、だからといって福井に帰ってくるとかそういうわけではないのですが、ただあれだけ嫌だった雨の多い福井が今とっても気になっているというか。
だから、一人でも多くの人に来てもらって、こんなところがあるよ、素敵なところでしょ、日常にはない空間があるでしょ、というのをぜひ私は見てもらいたかったし、この自然を生かした野外ミュージアムを見て欲しかった。ただ、それだけなのです。こういう場所がもっとたくさん出来ればいいと私は思っています。別に生まれたところでする必要はないのであって、ただそういった意味で、今我々の中で無くしてしまった心の中心というか、それはアイデンテティの問題にもなるでしょうし、生きる上で何かこう自分を支えていくものとしての存在というか、そういう意味で私は福井と関わってこれからも行くだろうし、それはもしかすると新潟かも分からない、もしかすると京都の方であったり、九州の方であるかも分からない。そういう関わりになっていったと思います。
ただやはり、そういう中心を支えるものというか、何か、精神の寄る辺的な場所が、自分の中に何か欲しいですね。現代の我々は自分の中にすかすかした自分が居るんですよね。やはりアーティストとして、作品をこれからも作っていこうとは思うのですが、そこでやはり探すものと、今言ったお話とは別ものではないのだろうなとは思っています。

質問者 どうも有り難うございます。

高須賀 ではそろそろ時間なので、まとめたいと思います。今日のお話を受けて、やはりアートそのものというのは、非常に個人的な作業からスタートするわけですが、アート単体では存在しえないのだというお話がありました。そうした中である種、社会旋風が必要なのではないかと感じました。美術館に閉じこもったものが表に出て行くということも必要だろうし、あるいは、アートの持つそうしたネットワーク力を使ってコミュニケーションする上でアートそのものが媒体であると捉えていくことも必要だとも言えます。アートというものは物質ということではなくて、竹田さんの言葉を借りれば、ハードからソフトに移っていくということが、やっぱり必要になってくると思います。その中でアートプロジェクト、地域におけるアートプロジェクトの色々な役割というのがまだまだ可能性に溢れているのだろうと感じました。 
環境芸術という言葉の、「環境」ということは社会とイコールであるという意味を強く含んでいて、あるいは、言い換えれば「社会」を伴っていると考えられるのですが、その芸術と社会の関係性ということを紡いでいくのが我々の使命であり、アートが作り上げていかなければならないことではないかと考えることができ、また、確認することができたのではないかと思います。
今日は本当に、つたない進行で申し訳ありませんでした。お二人に拍手をお願いしたいと思います。
これで環境芸術学会第八回大会を終了させていただきたいと思いますが、閉会のご挨拶をお二人にお願いしたいと思います。最初に金津創作の森財団副理事長、寺井様、お願いします。

寺井氏 ただ今ご紹介に預かりました、金津創作の森財団の副理事長、寺井でございます。このたび金津創作の森で環境芸術学会第八回大会を開催いただきまして、厚く御礼申し上げます。当館のオープン以来9年を迎えましたが、開館3年目から毎年10万人を超える来館者にご利用いただき、来年には100万人になることが予想されるまでになったわけでございます。

今回、10周年プレ企画として「環境芸術祭inあわら」という事業を立ち上げ、その一つとしてこの第八回大会を開催して頂きました。他におきましては、アートドキュメント2007國安孝昌展、あわら市環境アートコンペを終了し、空間に生きる・日本のパブリックアート展も好評開催中でございます。今回の環境芸術学会第八回大会では、会員の皆様の素晴らしい作品展示や、発表、また、シンポジウムを拝見させて頂くことができ、最後を締めくくるにふさわしいイベントになったと思います。特に、シンポジウムはこれからのあわら市の街づくりと創作の森の将来を考える上で大変参考になったもので、伊藤会長様をはじめとする関係者の皆様に深く御礼申し上げます。
最後になりましたが、本大会は日本海側で初の開催と伺っております。こうした学会の活動が一層功を奏し、アートと環境の素晴らしい関係が築きますようにご祈念申し上げまして、簡単ではございますが、感謝の言葉といたします。どうも有り難うございました。

高須賀 それでは最後になりますけれども、会長の伊藤からご挨拶申し上げます。

伊藤会長 伊藤です。たくさんの大会プログラムが無事終了したところで、ほっとしています。大会を通じてたくさんの人たちと出会い同じ時間を共有でき、たいへん有意義な時間を過ごすことができました。あわら市を中心にこの地域との深い接点を持てた事もこれからのわれわれの活動にとって大きな意義を残してくれたと思います。
今回、あわら市ならびに創作の森のご協力でこんなすばらしい充実した大会が開くことができました。初めにお話があってから4年間もたっています。多くの時間を費やして準備してきました。この地域には会員の少なく、さらに関西支部が全面的に協力している神戸ビエンナーレと重なり大会運営の困難さを感じていましたが開催にあたってのたくさんの関係者の努力や協力によって今日に至りました。それから数多くの協賛や援助などを頂きましてありがとうございました。たいへん大きな収穫のある充実した中身の濃い大会にすることができました。この結果をどう評価して頂くはこれからの問題ですが環境芸術に対する大きな理解を得られた事は確かだと思います。
会期中にいろいろな提案や問題提起などさまざまな表現で発表されました。その中で私個人的に先程口頭発表でありましたパーセント・フォー・アート・プログラムに興味を感じました。われわれの会にとっても非常に面白いテーマではないかと思います。これまで何度となく話題になったテーマですが具体化まで至ってはいません。
政策としてアートを公共空間や都市環境に取り入れる運動で、すでに海外では成果をあげている国や地域が多くみられます。アジア地域でもそういった政策が進められているところはあるようです。けっして豊かなところではないけど文化や芸術の重要性やパブリックに対する意識が高いところなのでしょう。残念ながら日本は、今の社会的現象からいうと、そんなこと言ったらいつの間にか潰されてしまいます。そんなところに金を使うんだったら、まだまだ自分達の個人的な利益や企業の配当だとか、そういったところに持っていかれてしまっているようです。ある程度、社会的なルールによって支える部分が必要ではないかと言う提案です。あらためて環境における芸術、アートについての社会との関わりを議論してもいいのじゃないでしょうか。
地域を知るためのプログラムとして、我々はエキスカーションプログラムを組みました。第一日目に北前船の記念館に行きました。歴史の中で当時の日本一の金持ちがこの周辺の集落で暮らしていたということや永平寺に行き、この地域の宗教的なバックボーンみたいなところを見てきました。温泉に入りカニを食べ、心暖かい人たちと出会い、この3日間はとても刺激的な時間を持つ事ができました。この地域でしか得られない色々な要素をたくさん体験しました。
初日に永平寺に行った際、修行僧が一日1200カロリーの食事で、携帯もなくてテレビも見ること無く、現代の情報社会と断絶した生活をしている若者がいるということです。伝統を継承し生きていく最低限の糧だけで修行しているようでした。自然を身近に感じながらの生き方がみられました。進むだけではなく顧みることも大切なことを知らせてくれました。
今回の大会を支えてくださった地元の方々、創作の森の方々、それから事務局、参加会員の皆様たいへんご苦労様でした。それからレクチャーで素晴らしい充実した話を聞かせてくださいましたパネリストの方々も、有り難うございました。毎年大会は開かれていて、終わって3日もすると現実に戻り、また次の年にという感じになってしまうのですが、決してそうせずに、この結果を日々の活動につなげていってもらいたいと思います
主催者側の一人として無事に大会が終了したことをたいへんよろこんでいます。次回の大会はまだ未定な部分が多く発表にはいたりませんが、さらにすばらしい有意義な大会にしようと思っています。今日は本当にありがとうございました。

スタッフ 以上を持ちまして、環境芸術学会第8回大会「森の力、芸術の力-人・まち・アート-」を閉会したいと思います。どうもありがとうございました。