1. トップ
  2. 活動報告
  3. 2006年活動報告
  4. シンポジウム

活動報告

■シンポジウム「芸術からみる、環境の次代-都市・自然・未来-」
 
リレートーク3「芸術×未来」をめぐって
「映像表現者の眼で見た地球の未来」

    9月24日(日) 15:00〜16:00/100周年パビリオンステージ
龍村 仁氏(映画監督)

司会
それでは最後になりましたが、映画監督の龍村 仁さんにお願い致します。龍村さんはNHKで番組制作に携わった後、映画監督として数々の映画を制作し、大変な活躍をなさっています。1992年に公開された映画地球交響曲ガイアシンフォニー第一番、先程もお話に出てきておりましたが、その映画は京の文化賞を受賞されました。以降、地球交響曲第五番までを完成され、全国各地で上映会を開催。すでに200万人を動員されています。また、著書も多数執筆されています。 龍村さんには、映像表現者の目で見た地球の未来、というテーマでお話をしていただきます。それでは龍村さん、よろしくお願い致します。

龍村
皆さんこんにちは、龍村仁です。実はこの新宿御苑という所はですね、もうあの、私の庭です。というのはもう40年近く、この公園があるが故に近くにずーっと住んでいまして、現在の私の事務所はあそこに見える、後ろを振り返ると先っぽの方にちょこっとだけ細長く長四角の建物が見えますが、あそこが私の事務所でございます。何で新宿御苑の近くにずっといるのかというと、何と言っていいのか…、本当にお世話になっています、ここに。お世話になっているというのは、別に何か特別なことをしてもらったという訳じゃなくて、皆さんもご存知だと思うけれども、ここにある木です。木々。これはもう、本当にすごいんですよ。私個人も世話になっているし、それから実は私の子供達も全部ここでお世話になっているんです。
私はよく、目の前にいるものですから、朝、門が開いた直後くらい、まだお客さんが誰もおいでにならない時間帯に入ってきて、あっちの後ろの方にすっごいでっかい樹齢4〜500年の木が何本かあるんですが、この木、私は本当に尊敬していると言うか、心から感謝しているんですけれども、その木のそばに座ってヨガの真似事のような、要は体を通りよくするというようなことを、ずーっとやってきました。
それからうちのチビ達が育ってきてある年齢になってくると、東京に住んでいると自然の中で何かをやるということは非常に難しいんですが、新宿御苑の中をよくご存知かどうかわからないけれど、ここはソフィスティケートされたモダーンなエリアですが、この左側の奥の方に行くと実は非常にワイルドな場所と言いましょうか、木や色々な植物が自然のバランスでそのままあるような、そういう場所もあるんですね、そういう所は冒険をする格好の場所なんです。
守衛さんに見つかると怒られるんですが。チビを連れて、ご承知のように新宿御苑はボールを使ってはいけませんとか、何か変なもの持って入ってきてはいけないとか、結構色々、たくさん規則はあるんです。その制約がまたとても良いのでして、何も持たないで入ってきて、そのワイルドな地帯の奥の方に、3歳位からですが子供が一緒に行きまして、あまり人が来ない場所があるの、その場所に行って、家を作るの。子供時代は木の上に家を作ったりとか色々な事したけれど、東京の都内でそういう遊びができる場所なんて考えられないでしょ。ところがね、あるんですよ。
それで、道具を持たないで入るものだからすごい工夫がいるわけで、3歳の子供が自分のお家だと言えるような家を、何も道具持たないで来て、そこにあるものを使いながら秘密の家を作る。そういうのを子供と二人でやる。そうするとすごい工夫がいる。まず枯れ枝はいくらでもある。だからそれをこう持ってきまして、まずその四本、柱立てて、それから今度は梁をこう、やっぱりそういうのを持ってきて置くわけだ。ところが縄とかそういうのも何も無いわけですよ、縛るとか釘とかね。どうしようか。あちこち探していると、大きな葉っぱの繊維があるわけです。それをピーッ、ピーッと割いて、固定するべき場所を一緒にこうやって括って、それから枝で屋根を作って、最後に色々な木の葉っぱをのっけて、一つのお家を作るわけですよ。
そういう楽しみを子供と一緒にずっとやりました。人間というのは自然の中で、その中に入って少し安心できるような場所が本能的に欲しいわけですね。子供もそういうのがわかるから、ようやく自分のお家が一つ出来たと。危ういんですよ、やっぱり。ゴーンと当たったりするとすぐ倒れちゃったりするんだけど、まあそれを作って、出来たと。次に何を人間が求めるかというと、そのお家の中で何か食べたいと思うわけね。ここが面白い所なんですよ。何も持って入ってこないわけで、食い物がどこにあるかと探しても、火をおこしたりは出来ないから、さすがにそのままダイレクトに食えるものはその辺にはそんなにないんですね。結局しょうがなくて、そこまで出てきて、そこの売店まで出てきて、カップラーメン。カップラーメンにお湯入れて、それでまたその小屋にそーっと入って、小屋の中でカップラーメンを子どもと一緒に食う。
この瞬間というのは、ちょっと真面目に言うと、人類という種が自然界から少しづつ離れて遠ざかってきて、便利で安楽な空間を作るという形で文明は全部進んできているんだけれども、都会の真ん中ではワイルドな体験はもう出来ない。本当のワイルドじゃないですよ。出来ないけれど、今申し上げたように、色々な工夫して半日か一日がかりで、一日と言ったって閉門時間があるから、朝早く入って大体お昼過ぎくらいに完成して、お腹減った時にごそごそとそこまで出てきてカップラーメンにお湯を入れて、またごそごそと行ってその小屋の中で食うっていう、このね、アンビバレンスというか、その何とも言えない矛盾というかな。そういうワイルドの中でカップラーメン食っているんだから。これが私達の、人間の、現代の、象徴的な姿だと思う。

 人間が本当の意味でワイルドな場所にワイルドな生物のままで生きているという事だったらどういうことか。何で人間はこんなすごいビルを建てたりするような文明を作ってきたのかと考えてみると、非常にわかることがあるのですが。例えば僕は撮影などで、本当のアマゾンの奥地に行くわけですね。人も住んでないようなアマゾンの奥地に、一ヶ月くらいいるというような時があるんです。それはそんなにざらにあることじゃないけど、圧倒的な虫達がいるわけですよ。ものすごいたくさんの虫達が、ジャングルの中に入っていった途端に、わーっと。私達は彼らの餌なんです。要するに血を吸ったり、色々中に入り込んで卵を産んだりっていうね。だから入って行く時には凄いんです、いくらそれから逃げようとしても…。良くほら、ジャングルではかっこよく半ズボン履いて、半袖で何かかっこよさそうに、あんなことやっていたら絶対だめよ。やっぱり長ズボン履いて、そで口締めて、足首も締めてここも締めてここも締めて…オマケに頭の方には網でもかぶるような、そういう格好していても、彼らは俺達が入って来た途端に、これはうまい食い物が来た!っていうことになるのですから必死で入ってくるわけですよ。で、気がつくと体中に虫に食われたり、そういう跡がある。
どんどん変な話に行くけど、面白いのは、いわゆる殺虫剤とか虫を除ける薬というのは色々あるわけですね。日本でもあるでしょう、ここへ来たらシュッシュッて、蚊よけ。あの程度の毒だったら、もちろんそんなに激しい影響を私達に与えないかもしれないけど、そんなもの効きもせんのですよ、あのアマゾンの奥地へ行くと。そうするとしょうがないからもっと毒性の強い虫除けというのがあるわけです。それを虫に噛まれるのが嫌だから体にかけたりしていると、何が起こるか。ご本人自身がその毒にやられる。ということは何かと言うと、私達の命も、それから虫を殺すということも、結局同じ命を殺すための毒ですから当然そういう影響がある。
日本じゃ絶対許可されない、いわゆる薬事法というか何と言うのか、そんな毒性の強いやつは許されないけど、アマゾンとか、ブラジルとか、コロンビアとか、ああいう所へ行くとそういうのがある。それで、それをかけるでしょ。かけて何とか虫から逃れようと思っている内に、今度は何が起きるかというと、自分の体の中に毒が入ってきて肝臓をやられるとかいう状態になるんですよ。
結局、何を言いたいか。そういう所へ行くと、痒いとか痛いとか気持ち悪いとか、そういうものを自分の中である程度受け入れるよりしょうがないんです。私達がそのすごい自然のバランスの中で生きている。全ての生き物の繋がりの中の一員として生きてきた私達もまた、その自分の命や血をそこに捧げなければいけないというような、そういう関係なんです。
実際こういうことがありました。そういう経験のある人は知っていると思いますが、ジャングルから出てくると着ていたものは絶対都会には持って帰れないの、どこに何が入っているかわからないから。出てきた時に薬風呂というのがありまして、薬のお風呂に体を浸けて、体の隅々に隠れているかもしれないダニとか、そういうものから自分が逃れて、それを取り払って、同時に着ていたものは全部焼却してやらないと、東京なんかに帰ってきた時に大変なことになるというので、ちゃんとそれやったんですよ、僕。ちゃんとやったんですけど、実は変な所に、変なちっちゃい虫がもう入り込んでいたんですね。どういうことかというと膚の上を歩いているんじゃないんです。皮膚の中に入っているんですよ、そういうのが。気持ち悪いでしょ。それがちゃんと生き延びまして、東京に帰ってきてから一週間位したら変な場所ががーっと腫れだして、どうなっているのかと思ったらそこに卵が生まれてた。虫が卵生んでるの。しょうがないからそれをメスでかき出して、取ってもらってきた。
何を言いたいか。そんな環境の中で、人間は自然に生きるということが嫌だったんです。何とかしてもうちょっと楽に、自分で自然をコントロールしながら生きたいなあと思って、森を出て、なおかつ頭を使って自分達が一見安楽に生きられるような感じの空間とか、生き方をずっと選んでいった。その先に大都会東京があるということなんですね。

で、新宿御苑に戻りますけれども、ここが本当の意味のすっごいワイルドな空間だったら、まずその空間自体がもう成立しなくなるのね。こんな小さな範囲…大きいけれども小さな範囲で、自然が自然のバランスのままでこういうふうになるということは、ありえない。だからと言って、木とか草とかそういうものが、人類が生きていく上でどれくらい大きな役目を果たしてくれているかということは、まぎれも無い事実としてあるわけですね。そうやって森から出て、自分が食べられるのは嫌だ、自分が楽になりたいために森から出て都市を築いた。こういう空間を築きながら、なおかつ地球規模の大自然の摂理から言えば、木というものの恩恵を本当に受けている。その僕達が、何とか自分の楽な分もちゃんと守りながら、しかし自然とどういう関係を作ったらいいんだろうということが、実はずっと、日本の場合それが非常にうまく出来ている。歴史的にはうまく出来ているということで、この新宿御苑が守られているんです。ですからここは、本当のワイルドな自然ではないんですが、「自然」なんです。
こういう自然は何なのかと言うと、人という種が生まれて地球上に誕生してこういう存在になってきて、なおかつこの中でもいわゆる自然の大きな仕組みとちゃんと調和するようなぎりぎりの接点はどのようにして作られるかという、何か思想というか哲学みたいなものが、これは理屈で考えたわけじゃないと思うけれど、実はここの中にあって、それがこの一本一本の木の持っている豊かさと言うか元気さと言うか…。この新宿御苑の森は元気なんです。もちろん色々な問題もあると思いますが、自然が本当の意味で、あるいは木が本当の意味で健康であるかどうかというのは、緑の色を見たり匂いをかいだりするとわかるんです。そういう意味で言えば、人類という種が自分の安楽を求めてこういう都市文明を作っていくということと、ガイア的規模というか地球的な規模で営みが動いている自然空間と、その関係のバランスをぎりぎり取っている場所。
いつも僕はその樹齢数百年の木の下に行って、その木を植えたのは誰だったろうなって思うんですが、多分それはやっぱり人です。4〜500年前にこの辺に来た人がちゃんと植えてくれたからその木はある。だから人工のいわゆるアーティフィシャルな世界なのかというと、アーティフィシャルなきっかけではありますけれども、木がそういう人工的なものによってどんどんどんどん大きくなったのかというと、そうじゃないですよね。樹齢400年の木は、自らのテンポと自らの生きるリズムとで、ゆっくりと自分のやり方で400年生きておられるという意味においては、ご自分がなさっておるんです。その木のお一人おひとりといいますかね、ご自分がなさっておるから凄いんですよ。
だけど人間が植えていると。それからほったらかしにしてそこで勝手に育ったのかというとそうではないというのがまた…。実はこの木をちゃんとお世話するというか、お手伝いしながら色々と面倒を見ている人がいる。だからそういう意味でいうと、いわゆる完全な人工的なものと、本当の意味で数千年数万年というタイムスケールで動いている自然の、非常にぎりぎりのうまいバランスを取っているのがこの新宿御苑の森であるということだと私は思うんですね。ですから、何か本当に感謝するんですよ。
それじゃあ、そういうものの考え方、すなわち自然を自分の身近にあってもらいながら、なおかついわゆる完全なワイルドな視点ではないというそのあり方は、いつ頃からどのようにして日本人の知恵の中に生まれてきたのかなと思うと、多分一番象徴的なのは、よく最近はちゃんと取り上げられるようになりましたが鎮守の森を守れというあの考え方ですよね。それから里山を守れという考え方。田んぼを作るというのは実は非常に勝手な人間の思い、すなわち食料をただ採取しているんじゃなくて安全に計画的に持ちたいと思ったから田んぼ作ったんだけど、その田んぼのあり方が、実は大きな循環の中にちゃんとした役割を果たしている。そういうようなバランスを取っているんですが、これは、まあテクノロジーといえばテクノロジーですよね。
だけどこういう、うまくバランスをとれるテクノロジーというものを生み出したものが何なのかという時に、実はこれは、あえてストレートに言ってしまいますけれども心。魂。あるいはその、自分と自分以外のものの存在がなぜか深ーい所で繋がっていて、自分は自分の意思と力で生きているというよりは、この大きな営みの中に自分が生かされている感覚と言いましょうか。これが日本の文化の無意識の原点にあるんですよ。それがこの新宿御苑みたいな所を非常にうまいバランスで保っているわけだと思います。
新宿御苑でやっているから新宿御苑をもてはやすわけじゃねえけど、俺は本当に世話になっている。そういうことが毎日毎日、実際に入ってみるとよくわかるんですね。よく言われることですが、はっきりこんなビルの中なのに、ほら、夏になるとすごいコンクリートの輻射で熱くなって、たまんないってなるんだけど、この側にいるとここからすーっと、こう、木を通り過ぎてきた風がふわっとビルに沿って上がって来ますので、私の今の事務所13階ですけど冷房ほとんどいらないくらい。明らかに2度から3度の温度が違うんだよね。それから多分、酸素の量もぜったい違うんだよ。木が何の役割を果たしているかって、後でガイア理論として説明しますけれども、要するに酸素を出してくれているんです。だからここを風が通り抜けてくるでしょ、木の側を通ってビルに当たってズイーッと上がってくるじゃない。それで13階来て、ベランダに俺がいると、ふわっと来る。もう、あなた、東京の真ん中にいて排気ガスとか何とかで大変でしょうなんて言うけれども、実はすごい良い酸素を僕はもらっている、みたいな関係になるんです。さっきの子供の遊びもそうですけど。

私はガイアシンフォニー地球交響曲という映画を1989年から撮り始めまして、さっき井上さんが、あの第一番の野澤重雄さんのトマトの話をしてくれましたけれども、ここにおいでになる方達はあんまりご覧になってないかもしれないから、どこかでいつか見ていただきたい。89年に撮りだしたのは1番ですが、2番3番4番5番、それでいま第6番の最終チェックの真っ最中でありまして、今も赤坂にあるスタジオでまだ皆やっているんです。途中ちょっと抜けて今ここへ来て、また帰らなくちゃいけない。そういう状態ですけど、その6番まで行っているんですね。ここは明るいので映像を見せるには向いてないけど、第6番の予告編を見れるようだったらちょっと見せて下さい。
…少々待ちますね。後で僕お話したいと思うのですが、地球交響曲ガイアシンフォニーというふうに言っていますが、地球の事をガイアと呼ぶのは、関心のある方は良くご存知だと思いますが、ジェームズ・ラブロックというイギリスの地球物理学者が…あ、始まっちゃった。じゃあ、どうぞ。6番というのは、実は音がテーマになっているの。音というか、この宇宙のすべての存在は響きあっているという。音がこうハーモニーをするように響きあっている、そういうような三人の視点から…。どうぞやって下さい。

(映像)
楽しみにしていて下さい。これは今、必死で最終チェックの最中でして、来年の春くらいには東京で上映ができようになると思うので。ガイアシンフォニーという映画は、最初はね、どこも映画館がやってくれなくて一年間お蔵入りで。その後、私が三千枚の切符を自分で買い取って売れば上映してあげるというのが当時の映画界であって、それは三千枚先に金払っておけば一人も客が来なくても映画館は損しないということ。こんな映画には客来ないと、そういう常識もあってやってくれなかったので、もうその時は一つの大きな転機だったんですね。その頃この辺に、四谷4丁目の角っこの小さな四畳半くらいの所に住んでいましたけど、どう考えたって俺一人で三千枚の切符を売るのは無理だなって思いました。で、無理だなと思ってやめたらもうそこで終わりでしたよね。映画一本作って終わり。
その時に考えたんですよね、ここのところが非常にあの、ちょっと今日の話と外れるかもしれないんですけど、僕としては重要なことだと思うんです。その頃の常識で言ってこの映画を見る人はいないということも、そんな馬鹿じゃないからわかるわけですよ。だけどもう一個あるわけ。絶対そんなはずはないという思いがあるの。与えられている常識からいうとそれはそうかもしれない、しかし人という種の一番根本的な何か感じる力とか、もっと言えば何か見えない大自然とこの自分の繋がりを感じ取るような力はですね、人間である限りすべての人の中にあるはずなんです。それが自分の中で表に出てこないで、現在の、物さえ多ければいい、金さえ儲ければいい、物量があればいいという、そういう価値観の方に動かされているだけで、本当は誰でもこういうことわかっているはずなの。
この映画はこうやって言葉で説明をしても何の意味も無いのね、というか伝わんないの。見せなきゃ映画になんない。見てくれなきゃ映画になんない。龍村仁はこういう映画を作ったんだけど、誰も見てくれない、映画は映画としてできたけど、世の中の人は遅れているとか、世の中の人は馬鹿だから見てくれないとか、そこでやめていたら終わり。そんなはずは無い。映画なんて龍村仁が作ったというよりも、作品というよりも、映画と見ている人の間で何か双方向のクリエイションが始まって初めて映画になるものであって、映画というのは作家が作って受け手である人に渡すものではないんですよ。必ず観客の方のクリエイションが起こって、初めて双方向で何かが動いてそれが映画だと。だとすれば何なんだと。俺は映画作ったといったって作った事になんないでしょ、見てくれる事がなければ。となると三千枚の切符を売るという事は単なる商業行為ではないわけです。自分がクリエイションをするということの、まさにその一つなんですね。だからこれ売らなきゃしょうがないと思って、必死で売りましたね。
三千枚も一人で売るっていうのは大変でしたけど、だから色々とお世話になりましたよ。私の出身京都でして、小学校中学校高校の同窓会とか、一回も行ったことなかった。何か俺の過去を振り返るのが嫌で。だけど現金なものでそういう時は行くんですよ。皆にオーって言われる。
友達っていうのは面白いものですよね。20年も30年も会ってないんだよ。なのにさ、どんな映画かって聞くわけ。それこそさっきの井上さんの話じゃないですけど、トマトが遺伝子操作もしてないのに一万五千個もなりましたって言うような、いや〜実はトマトがこんなに大きくなってねとか、アフリカに象さんがいましてねとか、そういうような話しか出来ないわけですね。なんじゃその映画は、どんな女優が出とんねんと。女優は出ていません。どんなストーリーやねん。いやストーリーはちょっと語れません。何なんやこれは、お化け映画か。いやそれもうまく言えない。で、結局は見てくれるしかしょうがないんだけどそういう時に友達っていうのはね、「何だかお前の言うことは全然わからん。全然わからんけど、まあお前が一生懸命なっていることはだけはわかるから、何とか買ってあげるわ」みたいな感じで買ってくれて、そういう切符がどんどん出ていった。

映画が上映されて、最初のうちはあんまり客来なかったですよ。ところが、どんどん人が人を呼ぶようになって、自発的に人が動いていって、一回上映会すると必ずその中で、自分が上映会をすると言う人が出てくる。素人ですよ、全員。あの、ここのところが今後の環境問題の凄く重要な所なんですけど、専門家というのがいてなんかわかったようなことを言う、専門家の知識は確かに大切だけど、本当に何かを変えようと思う時に、人は何かそれに対して自分の喜び、自分の感動、心の感動がなくては新しい価値観への行動というのは絶対に起こらないですよ。だから、感動するということが凄い重要なんですけど、その素人の方達は全部、自分達が感動して、しかも映画館でやってくれるものだと思うけどやってくれないし、しょうがない、自分が人に見せたい。それもボランティアで助けにいくとかそういう感覚じゃないの。自分がずーっとモヤモヤ思っていて、これは何とかして変えたいと思いながらそれが何なのか自分でうまく分からないし、人にうまく説明できなかった。ところが映画は音と音楽がある訳で、これ見せたら私が今一番感じていることが人に伝わるというふうに思われた、という所が自主上映の動きに本当にあるの。
ですから誰もね、人のためにやってやろうなんてやってくれない。龍村仁は一生懸命がんばったからかわいそうやから助けてあげるって、そんなんじゃないんですよ。ただ関係ない。自分が自分の持っている大切なもので人に表現しにくいものを、何とかして伝えたいと思っている時に、この映画を見せればいいというふうに思ってくれた。そのことから極めて自発的な動きが次から次から増殖していくと言うか、本当に一つの動きがばっと大きくなりばっと大きくなり、まあもちろんゆっくりしてますけど。
それからハリウッド映画みたいに儲かりはしません。大体ね、8割ですな。投資されたお金の8割が循環してくる。昔の人は良く言ったなあと思うけど腹八分目って言うのがね、一番重要なんですよ。そんなこと言っていて、うちのチビがすごい太っちゃったんで、最近このお話しにくいんだけど、要するにエネルギーなりモノというのは通さないと命は動きません。金なしでも、霞を食って生きていけるという人もいるんでね、実際に。凄いなあと思うんですけど。お金というものは、何かこう、お金自体に価値があるんじゃない、エネルギーですよ。エネルギーが通らないとモノは動かない。ただし、すっごい大きなはっきりとした規則、鉄則があるわけで、エネルギーは溜めすぎたら病気になるの。自分のものだと思ってそこをどんどん入れて、溜めたくなるでしょ。ごんごん溜めると病気になるの。要するにエネルギーは通さないといけないわけだから。スケールが大きかろうが小さかろうが通っていくということが必要なんですね、エネルギーはね。それはお金も同じことで、ただし、腹八分目っていうのは神様が良くしたなあと思うんだけど、十二分に食ったら太りすぎる。少なすぎたら飢餓で死んじゃう。八割くらいで二割足りない。二割足りないというのはもの凄い重要なことで、足りないから何とかあとの二割をしなきゃいけないって、その感じが実は人間をすっごい活性化するんですよ。

何だこの話は、だんだん環境問題から離れていきますが、まあそういうような感覚の中で、実はこの映画が考えもしてなかった、1番2番3番4番5番…。あの、1番作っているときは1番と言っていないんですよ。なぜかというと次があると思っていないから。これもとても重要な一つの哲学だと思うけど、確かに人間は明日、明後日、明々後日、これからどうなってどうなってと計画的にモノを考えられるから人間だと、そういうことは確かにあります。これは重要なことですが、全部設計図引いて、こうなるから安心していける。これはやっぱり設計図を引いてみると駄目だと、だからやらない。このやり方は安定している社会では割合と重要なんだけど、何かものごとが変わる時にはね、これはやっぱり逆効果の方が大きくなる可能性がある。ちゃらんぽらんなこというみたいですが、今この瞬間に出来ることのベストを尽くして、結果をあまり考えない。それは新しい価値観とか新しい何かを築く時に絶対必要だと思う。
だからまあ、あんまり心配しないでと言ったって、そりゃ心配するよ、人間だったら。この映画売れなかったらどうしようとか。今なんか俺めちゃくちゃドキドキしている。次の映画どうなんのかなあとか、本当に人が見てくれんのかなあとか。そういうのもありますけれども、でもまあそこで、ベストを尽くして、そして、結果を何かに委ねるというかさ。そんなかっこいいことできるかよって、できないのわかって言ってるのよ。でもそのことをずーっとやっていくと、自ら然(ふりがな:しか)るってことが実際にある。このことは自然界との関係における、ものすごい重要な摂理だと思う。御苑がそうなんですよ。人間が関わって、こうあって欲しいと思い、こうしたらいいと思って関わっているけど、大きな全体の雰囲気は実はこの木一本一本なり、草一つ一つの、自ら然るものに委ねるということですね。委ねられないからコントロールしようというのが生まれて、それは確かに必要なことだけど、できると思って非常に浅はかな知恵でコントロールするから、逆の弊害がものすごく現れるというのがあるんですよ。ですから今、僕は一番思うのは、ベストを尽くしてやれることはやるんだけど結果を何か大きなものに委ねられるような状態と言うのかな、これが一番重要なの。

それで、また言いますよ。こんな道徳みたいなのね、偉そうな何かみたいに聞こえるかもしれないけど、一つコツがあるの。本当にやりきっとけば、思い通りいかなかったことを受け入れられるんですよ。ものごとが思い通りいかないのは当たり前みたいなところがある。ところが、途中を中途半端にこれもあるな、これもあるな…、どっちへ行ってもまあいいや、なんてそれくらいの状態で今この一瞬のことを、本当に本気でやりきってなかったら、結果が自分が思っていたのと違った時に、何が起こるか。あれは誰かがこういう邪魔をしたからだ。あいつが馬鹿だったから、劇場を、三千枚も監督に買えなんてことを言いよったんだとかさ、そういうふうに相手のせいになっちゃうんです。ベストを尽くしていると実は、道徳的なことを言うんじゃなくて本当に、諦められるんですよ。ベストを尽くしていれば諦められるのに、尽くしてないから諦められないんです。
  それはね、僕ね今、道徳的なこと言っているみたいなんだけど凄い現実的なことなの。なぜなら、ガイアシンフォニー6番は素材が90時間ある。撮影の時に何もプラン考えていないの。大きな設計図はあるんだよ。でもふつう映画撮るのって、皆さん知ってると思うけどシナリオを書くの。このシーンは何秒くらいでこのシーンは何秒くらいでとやっておいて、それに合うのを撮ってくるから、それでできるというのもあるんだけど。自然界とかものごとの成り立ちとかいうのは、そういう浅はかな、今までの知恵でもって計算したような事柄では行かない。全くその日その場で違ってくる。あるいは予期せぬ出来事に出くわしちゃうっていうのが、本来の生命の姿であり自然の姿なんですね。だから90時間の素材を、多く撮りますね、贅沢してるねなんて言われますけれど、全然撮影なんて贅沢してないですよ、私は。
私のようにインディペンデントやるということは、例えばこの映画を今回見てもらってもわかると思うけど、凄いシーンがたくさんあるからさあ、よっぽど長期にわたって撮影したのと言うのはとんでもない。長期にわたって撮影したらすぐコケる。だって一日いくらでカメラマンに払い、機材はいくらとか計算したらあっという間に予算は越えてしまうから、凄い限られているんですよ。10日間とかね、撮影期間が。その中で実はやっているんですけど、やっぱり予期せぬ出来事いっぱい起こりますね。で、可能な限り直感というのかな、面白いと思ったことは必ず回すんですよ。どういう作品になるかわかんない。それで大体90時間という素材になる。これが実は予算の象徴たるもの。俺がベストで撮影期間をやったら90時間くらい。
だけど考えてみて下さいね、映画2時間なんですよね。2時間で90時間ということは、88時間の回した分は映画の表面に出てこない。えらい無駄なことやってるなーっていうふうに思うかもしれないけどこれは無駄じゃないのね。ここのところを無駄と思うか思わないかで価値観が違うわけ。物量でいえば無駄に見える。だけど88時間の、目に見えない体と心が通過して来たものにこそ価値があると思ったら、88時間は無駄じゃないんです。なぜかと言うと完成した2時間の中に、直接の映像や音では現れていないけどその時通過して来た匂いとか感覚とかいうものは必ず残っているはず、それが生命体なんですね。生きている人間というのは、その瞬間そこを通っている時に自分が頭で感じた、あるいは意識として持ったものを遥かに越えているものを、実は中に受け止めているわけですよ。それが編集する中でだんだん、だんだん出てきて…。
ということで、何が言いたいかというと、それでもさ、必死で落としてもうこれ以上削りようが無いというのが大体2時間半くらいなんです。今回2時間40分になってしまって、今2時間7分で作っていますけど、もうそこからは落とせないんですよ。もう本当に落とせないの。ちょっとずつ、微修正というのが出来る時はやっているんです。もう微修正できないくらい、それこそ集中して、あるパートの3分くらい、すっごくうまくできていて完璧に近いんだけど全体通して流れで見るとチョット違う、というのはあるわけですね。
その時に一部分ずつ微修正やっていったら絶対そうならない。そうするとボカーッと全体的にある部分をボーンと捨ててしまうっていうことになるわけです。それで、そこが捨てられるかどうかというのは、自分が作る時に本当の意味で全身全霊かけてそこにベストを尽くしていたときは捨てられるんです。諦めるだけですから、カッとこう。中途半端にやっているともうちょっと削れば何とかなるんじゃないか、もうちょっとこうすればなんかかんか…とそういうふうになっちゃうんです。だんだん映画づくりの話になってきましたが、こういうようなことであるので、さっき言ったようにベストを尽くして自ら然るところに委ねるというその感覚が、実は自然界とかこの大きなガイアの仕組みと自分の生き方なりをちゃんとこう、交感する根本の一つの何かのような気がします。

そのことのために何が一番大切なの、となった時に初めて、自分が生きているとか自分がこう出来ていることは、もちろん努力と執念とか、向き不向きとかそういうのによって自分がやっていることであるんだけど、同時にそういうことじゃなくて何か大きな繋がりの中で、自分が何かやらせていただいてるというかそういう実感なんですよ。そういう実感が持てるようになるという事がとても重要なんです。
大きな命に生かされているというのはもう紛れもない事実なんです。これは後で説明しますけれども、だけど大きな命に生かされているというものの言い方だけしたら、宗教的なとか、そんな綺麗事とか、ええかっこしいとか言われそうですが、事実としてそうなんです。だけどそういうふうに思えないという所に我々の時代の不幸があるわけ。何とかして自分でやれるんじゃないかって。要するにその考え方の先はこうです。「物量が多い方が勝ち」。要するに沢山のものを持って沢山のパワーを蓄えておけば、何か自分の思い通りになるんだけど、ということなんですね。ここがものすごい、今、世の中で問題ですね、こういう価値観の方が充満している。
それで、大きな命に生かされているというのは一体どういうことかという話になるんですけど、何でそれが紛れもない事実と僕が言っているかというと、まずこの新宿御苑の木を考えてもらえばわかるんですが、ガイア理論というのはこういうことなんです。地球は大きな生命体であって、私達はその一部分として生かされているという。それを科学的にちゃんと解説したのが、ジェームス・ラブロックのガイア理論なんですが、何で地球が大きな生命体、生き物であって、私達がその一部分と言うことができるかということを、ちょっとだけ科学的な所で話させてください。
今ここにある空気の中に酸素は何%あるか。空気は色々な成分で出来ていますが、地球の大気には酸素は21%です。この大気の中に他にも、炭素とか窒素とか色々なものがあるわけですが、酸素は21%あるんですよ。これが数億年に渡ってほとんど同じ状態で保たれていて、その結果僕達のような生命体から、木から虫から鳥から全部生きているという。で、じゃあ21%を誰がどういうふうに決めたのかという事をちょっと科学的に考えてみた。実は太陽系の中で酸素が21%あるのは地球だけです。火星とか金星とか宇宙規模で言えばほとんど地球と変わらない条件の中にある、宇宙規模で言えばですよ、火星だって金星だって酸素は0.001%くらいしか無い。それでずーっと安定している。地球だけが21%という変な数字で安定している。これの数字は凄く安定しているのが変なのですが何億年に渡って安定している。
私達は、ここは凄く酸素が豊富だから金も払わないでタダでいい空気吸わせてもらっていますけど、何億年に渡って酸素を消費して生きている動物達など全部が、どんどこどんどこ地球の酸素を消費してきたら、何億年に渡ってですよ、酸素は無くなってもいいはずですよね、普通だったら。だけど全然無くならないで21%を保っている。
この間、小学校の子供に21%にどうしてなったんだと思うとか、無くなったらどうするって聞いてみたら、酸素ボンベを買ってくりゃいいって言うんですよ。確かにそりゃそうだけど、その酸素ボンベの酸素も地球の酸素を取ってる訳ですから。もう一人の子はこう言った、ああそれはきっと、どんどん無くなると宇宙から供給されているんじゃないかって。それは実は無いんです。大気圏があって、そこから先に色々なものがあるのを入ってこないようになっていて、この中にいるんです。そうすると中にいるやつがどんどん消費しながら、なんで消費しているのに無くならないのか、しかもなぜ21%に保たれているのか、これが実はジェームズ・ラブロックがガイア理論を考えついた理由なわけですよ。おかしいじゃない。
わかりますよね、簡単なことで。植物なんですね。この地球上で一緒に生きている植物は何をしているかというと、私達が吐き出した二酸化炭素と言いますかCO2を体の中に取り入れて、彼らはですね、何も人間のためにやってやろうと思ってやっているわけじゃないんですね。CO2を取り入れて、太陽の光で光合成して、彼らの廃棄物は酸素なんです。我々の廃棄物は二酸化炭素なんです。彼らは酸素を吐き出すんです。吐き出してくれているおかげで、これが21%を保っているということになってるんです。おおざっぱに言えばね。科学の専門家はそんなおおざっぱなこと言うなって言うかもしれないけど。大きく言って正しいこと。木だけじゃないですよ、他のバクテリアとかそういうのも。
私、アラスカとかナミビアの砂漠とか、そういうところへ撮影に行きますからこういうことがあるんです。3番、4番の頃かな、星野道夫の撮影でアラスカのシシュマレフという北極圏の小さな島へ行った。今、温暖化で沈みかけていますけど、大体マイナス30度くらいになるんです。でも日中寒いからといってお家の中にいるわけにいかない。撮影しなきゃいけないって外へ出ますね。もちろん防寒はしていますけど、外はマイナス30度。そこで私がどうして仕事をし続けられるかというと、マイナス30度の中で私の体温は36度5分を保っている。どんどん体力を消費しますけども。ああいう所行くと何もしなくても腹減りますよ。自分の体を36度に保つのに、60度の温度差をちゃんと自分がバランス取ろうとするんです。だから生肉とかアザラシの肉、殺したてのやつを血の滴るようなのをここへ持って来てもみんな食べる?おいしいよって。絶対食べない。だけどああいう所へ行くとすっげえうまい。それは何でかというと、直接もうこっちのエネルギーになるから。
いずれにしたって、そこで36度5分を保って東京に帰って来た。昔の人は皆そういう所でじーっとしていて、そこで慣れてるわけだから。俺達現代人はそこから東京へ帰ってくるわけでしょ。それで東京へ帰って来てさ、数日いて、今度どこへ行ったかというとアフリカのナミビアの砂漠。ナミビアの砂漠というのは、昼間50度になるんですよ。気温50度。でも大丈夫よ、人間は生きていけるから。そこで生きている人がいる限り生きていける。で、やっぱりそこで仕事。マイナス30度からプラス50度、80度の温度差を私の体は僅か一ヶ月足らずの間に往復するわけですよ。
そこでちゃんと帰ってきて、仕事もして、今ちゃんと新宿御苑でこんなことを喋っている。これは何を意味しているかというと、私の体はどんな状況においても36度5分という体温に保ち続けようという仕組みが、体全体の全ての色々な機能が一緒になって働いて、私がそういうふうに生きていられる。だから、生きているという状態は何なのっていったら、ある一つの安定性と言いましょうか、自ら色々な中にある臓器や細胞が非常にうまい状態でちゃんとバランスをとりながら、ある安定状態を保つ。ホメオスタシスと言って恒常性と言います。

これが、酸素21%という数値を、何億年に渡ってあらゆるものが色々一緒に連携しながら保っているおかげで、人間も生きているし木も生きているし何も生きていいるし、全部一緒になって生きてるんだよという、この仕組み。地球が大きな生命体として生き続けているという仕組みなんだという、これがガイア理論です。簡単に言うとね。そうすると、私達が木や植物の恩恵を凄く受けているという事もわかります。 実際に私達の体は10を28回くらい掛けた10の28乗個もある原子?酸素原子、炭素原子、窒素原子、鉄とか色々あるけど、物質的にいえば一番最小単位は原子という事に仮にしておきますと、現代はもっと細かくありますけど、10を28乗個も掛けた数の原子で出来ている。ところが私達の体ははっきり、僅か一年で、今僕が、皆さんもそうですけど、この一瞬に皆さんの体を構成している物質の最小単位である原子10の28乗個の原子はたった一年で、98%が全く新しいものと変わってしまう。それが生きてるっていうことなんです。自分の体は自分の持ち物って、物質的に同じものだなんて考えたら大間違いで、原子が通り過ぎているだけなんです。5年経つと100%変わるんですよ。
その原子達が、例えば酸素原子としましょう。私の体の中にある一個の酸素原子というのが、ある時私の、現実には体を作っている。あ、炭素原子の方がいいな。私の体を炭素原子が作っている。ところが僕がこうやって喋っている間に唾も出るし、それから結構ちゃらんぽらん言ってるみたいで一生懸命、ばーっと頭使っていますから、すっごい酸素を消費してこの中の物質を燃やしていますんで、そうすると炭素、私の体を作ってる炭素をばんばかばんばか、凄い量で出してるんですね。風も吹いてるでしょ。ここで僕が自分の体をつくる炭素原子をバンバン外へ出したことになる。その炭素原子はもうスーッとあの辺行っているんです。そうするとそこにある木は、もう多分これで一時間経ちましたから多分俺の体を作っていた炭素がそのまま風に乗って運ばれてきて、まだ夕日があるし、まだ光合成できるわけ。で、木は私の体であった炭素を取り入れて、光合成やって自分の体にしてますので、私の体と木の体は物質的なレベルにおいても結びついているということは紛れもない事実。
だからこれは、今、一生懸命最近の科学知識を使って説明したけれども、こんなもの説明しなくても、木の側に行って、皆が、ハー、何か心が休まるなあとかね、木の側にいてタッチしてこう何か体が緩くなるなあって、当たり前の話ですよ。これが繋がりということです。私はあらゆる環境問題や色々な事を、政治も経済も全部含めてですけど、これからの21世紀の我々が色々な問題を乗り越えて行く時、その根底に、一番重要なベースの中に、この感覚が必要だと思います。
自分の命は自分のものであって、自分の努力によって動いて行くと同時に、何かそういう見えない大きな繋がりの中で生かされているという、その感覚が凄く重要なんです。こういうこと言うと受け身でさ、えらい消極的な話に聞こえるかもしれないけど、とんでもないですよ。私はこの受け身の感覚というのかな、自分が生かされているという感覚、そこから生まれる深い意味の謙虚さが逆に人間の凄い積極的な側面を生むと思います。
なぜかと言うと、色々な条件で慮るのもいいけど、それよりは根本的なほうに、自分はそういう大きな繋がりの中で生かされているんだと思った時に、人間が一瞬に向かって、自分のできる、小さいように見えることにベストを尽くすという、そのことをやっていいんだよ、素敵なことなんだよっていう。何か見える間に自分が思い通りの未来にしようと思ったって絶対にそんなことにならないんです。だけど必ずそういう思いでもって今やる営みは、自ら然って絶対全体的なバランスを取り返す。
はっきり言って命は、大きな命ですよ、必ず健やかに生き続けるという意志を持っていると考えた方がいいです。これは自分の命だけじゃなく、生き続けたいという自然界の全ての命がそう思っている。だから自然界に命が誕生して38億年経っているという。
確かに我々の時代に、そういうものをぶっ壊しているというのもあるんだけど、私が一番そうあって欲しくないのは、ガイアそのものがそのバランスの中でどうしても人間がやっぱりやばいと、こいつがいるとバランスが本当に崩れてガイア全体で生きられなくなると困るなあと。そうするとどうなるかというと、人類という種を消してしまえばいいんですよね。人類を消してしまえばこんなことなくなる。
だけどせっかく生まれてさ。だけど大きなガイアの意思から言えば、人類がガンだったり毒だったりするはずがないのよ。ものが毒になるか薬になるかといえば、それは皆さんもご存知だと思うけど、初めから毒で初めから薬でというのはないんですよ。薬は毒であり毒は薬なのよ。そうするとやはり大きな命が長く生き続けたいという意思の中であるんだとすれば、私達は今何をすればいいのか、どういう位置で進めばいいのか、自ずと心の中で出てくると思います。それは何も難しいことじゃなくて、自分の目の前にたまたまあるようなことにベストを尽くし、出来ることをやっておくと必ず全体はうまくいくだろうと私は思っています。
どうもありがとうございました。

司会
龍村さんどうもありがとうございました。会場から何かご質問ありませんでしょうか。よろしいですか、シャルルさん何かございませんか。

質問者
すみません。会員のシャルルと申します。先ほど、心というお話がありまして、全体のガイアのバランスを保つために、一つの心、その存在感がベースというものになるというお話をいただいたんですけれども、それを育てる必要があるのか、育てる可能性があればそれをどういうふうに育てればいいのかという、そういう質問です。

龍村
わかりました。子供の時に新宿御苑に遊びにこさせて裸にして、そして管理人の方が時々眉をひそめるようなことを思い切りやってあげるというようなことが非常に重要だと思います。わかる?裸足にするの。そしてちょっと怪我しそうな所も裸足で行かせる。そうすると子供は何をするかって、最初は怪我をするかもしれないって心配しますよね。だけど人間というのは多分ね、例えば歩いていて、ちょっと足踏んだ途端にキュッて怪我しそうな場所に来ると、最初はちょっと怪我するかもしれないけど、次の瞬間に、それがグサッとくるのかちょっとだけなのか、キュッとこうバランスを変える。小さい時だったら自分の体のバランスを取るということを必ず本能的にやるんです。
そんなことと、今のスピリチュアリティというのか、霊性みたいなことと関係があるのかと言うと、深く関係がある。私はそういう作られている感覚、大きなものに繋がれてその一部として生きている感覚というのは、言葉や教科書によって教えられるものではなく、教える部分もあるけど、むしろなんて言うのかな、人間が小さい時にどういうふうに体験をしていると素敵な人間、すなわちどんな状況に置いてもそのことに柔軟に対応できるような人間に育っていくかという、その、人間感と言うのかな。それが凄い重要だと思う。
正直に言いますと how to が無いんですね。私達の時代の不幸は全ては how to で解決できると思っていることなんですよ。このマニュアル通りやれば何とかなる。そりゃマユアルが増えてるいのはいいと思いますけど、マニュアルに出来ないものがあって、そういうものが大切であり、じゃあそういうものはどうやって育てればいいのかと。そういうことになると、例えば今言ったように新宿御苑の側に住んでいるなら、子供と一緒に遊びに来て、新宿御苑で裸足になるような体験をさせてあげるとか。これが本当に役立つのかそれはわかりませんよ。
わかりませんけどはっきり言えることは、僕はあえて、スピリチュアルってなかなか使いにくい言葉だけど、全ての営みの背後にスピリチュアリティが必要だと。それは特に科学とか経済とか一番スピリチュアリティと遠い営みのベースに実はそれが必要だと。なぜかと言うとそういうのを持っていて、例えば科学的に何をどういうふうに、どういう方向に技術を作っていけばいいというのが、本質的にわかってくる。だから、今、日本に一番足りないのは、素敵な人間像というのがどういうものかという、イマジネーションが足りないんだと思います。そのイマジネーションを、やっぱり教育する側というか大人の側が持つということが必要で、それも固定したものじゃない。66になろうが7になろうが、毎日のようにそういう新しい営みが続いているという、そういうことだと思います。答えになりませんけど、そういう考え方です私は。

質問者
どうもありがとうございました。

司会
ありがとうございました。あらためて拍手をお願い致します。

 

 

司会
本日は文化をクリエイトするゲストの皆さんに、それぞれの視点から環境について、またさらに広がったお話をしていただきました。会場の皆さんも楽しんでいただけたことと存じます。まだまだ名残惜しい所ではありますが、このシンポジウムの締めという事で、伊藤隆道会長に一言お話をしていただきたいと思います。よろしくお願いします。

伊藤
シンポジウムの講師の方々、どうもありがとうございました。たいへん役に立つすばらしいお話でした。僕はこのシンポジウムのまとめをやってくれという事ですが、みなさんのお話しを聞いていて分かったことと僕の個人的なことの共通のお話をしたいと思います。
今日のシンポジウムには新宿御苑という言葉がたくさん出て来ました。もちろん選ばれた会場のすばらしい環境が今回のテーマの重要なキーワードになっているからです。個人的な事ですが、僕もこの新宿御苑と深く関わって生きてきました。実は学生時代から新宿御苑が大好きでしてね、40年以上もこの周辺で漂って生きています。ですから実体験としてこの大きな木や緑が都市にとって非常に重要だというと云うことは充分理解していますが、ちょっと違った面白い木の話をしたいと思います。

僕の学生時代からの憧れの土地がこの内藤町で、ここのほとんどが内藤町なんです。思いが叶って土地を手に入れて建物を建てる事になったんですが、必ず町内に木を絶対残せという町の条令がありまして、非常に狭い土地ですけれども、必ず木を一本以上残さなきゃいけないという事でした。
どこの家にも大きな木が一本以上あります。実はその木は、先ほどからの自然との物理的な共存や精神的な安らぎだけではなくて、もう一つ面白い理由があります。近所に住む古くからの方から聞いた話しですが、戦争中に何度か爆撃があったそうです。たくさんの焼夷弾が空から降ってきたそうです。そのほとんどが大きな木に引っかかって、家が焼けなかったそうです。劇的な光景だったそうです。ですから今でもこの辺には大正時代や昭和初期の古い建物が残っています。
町内がそういった戦火から自分たちを守ってくれた大木な木に対して感謝しているというか。もちろん新宿御苑が内藤町内という事で、木を大事にしたいという気持ち土地柄的にあるんですが、何か、町を守ってくれた木に対する感謝と言いますか、もう一つのそういう気持ちがあって、木を残そうという条例が生まれたということです。こんなお話で、今日のシンポジウムの締めとしたいと思います。
今日は天気にもめぐまれこのすばらしい環境で皆さんと一緒に有意義な時間を過ごすことが出来ました。皆さん、本当にありがとうございました。