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活動報告

 
シンポジウム
シンポジウム 15:00〜17:30
東京芸術大学/陳列館

            
<パネラー> ゲストパネラー
飯島洋一  建築評論家 多摩美術大学助教授
面出薫   (株)ライティング プランナーズ アソシエーツ 代表
谷岡郁子  中京女子大学学長
分科会座長
國安孝昌        筑波大学
國松明日香       札幌市立高等専門学校
クリストフ・シャルル  武蔵野美術大学
<司 会>   山口勝弘 

山口
本日のシンポジウムは、共創とはいったい何か、我々にとって共創の目的はどういう点にあるのかということを、様々な角度からディスカッションしていこうというのが目的です。そういう意味で、会員の皆様も自由にご発言できる時間を出来るだけたくさん取りたいと思っております。まずゲストパネラーにそれぞれの立場で発表していただき、次に分科会の発表のまとめ、それからディスカッションに入りたいと思っております。それでは飯島洋一さんから発表お願いします。

飯島 
今日は「自然と建築との新しい関係」とタイトルをつけまして、20世紀から現代までの間にどのように自然と建築との関係が変わってきたかというのを、スライド80枚位でお見せします。
これはアドルフ・ロースの1910年に出来た、ウィーンのミハエル広場の「ロースハウス」という近代建築の先駆的な作品です。この凸窓に注目していただきたいのですが、いわゆる近代建築のパイオニア達は建築から自然を切り離そうとしました。ロースももちろん自然を排除する建築物を創りました。ただ窓の側に花台が付いています。これは一つの抽象的なものに対する自然ですが、初めはなかったんです。オーストリア皇帝がこういう眉毛のない建物が気に入らない、耐えられないと言ったので急遽付けたという話です。つまり「ロースハウス」に花台があるというのはロースが好んでやったという訳ではなくて、全く自然を排除した窓というのを考えていた。それ位、近代建築は非常に抽象的な美学を追っていたということです。
次はル・コルビジェですが、彼は近代建築の五原則といって最上階の屋上庭園というのを考えてますが、実はロースと同じような傾向で自然とむしろ絶縁することを考えていました。その一つの根拠はこのピロティで、ピロティとはフランス語で杭という意味で、要するに地下に入っている物が地上に浮き出てきたというふうに考えていいのですが、ここにオープンスペースを作った訳ですね。と同時に昔、建築物というのは大地に根ざして、建築が自然と一体化していたのですが、コルビジェがここでやろうとしたのは、彼の他の都市計画との繋がりもありますが、大地と縁を斬りたかったということです。彼の建築の意味の一つはこの点にあって、大地と自分は絶縁したかったということなのです。ロースが本当は自然を排除したかったのと同じように、コルビジェも同じように自然をカットしたかった。それがこのピロティという形式の持つ意味です。
自然と建築は違うんだという構えみたいなものが、いわゆる近代建築のパイオニアの偽らざる心情だったと言っていいと思います。彼らの活動は20年代から30年代に盛んになり、その後第二次世界大戦が終わって、50年代にピークを迎えますが、その時は逆に終焉に向かっていて、そろそろ近代建築を批判する勢力が現れてきて、それが今で言うところのポストモダニズムです。

これはロバート・ヴェンチューリによるベスト社の店舗です。このポストモダニズムの建築で、自然はどう扱われたかというと、こういうワッペンみたいな記号で花模様として示されています。ヴェンチューリは他に、住宅でも家形を記すことで、それが「家」であることを示すというという試みをしています。最近日本に作られた保養施設でも、記号の自然を建物にちりばめています。建物の中に街路を作って、自然を記号で表現していく事をやっています。
そういうポストモダニズムが、モダニズムに対する批判として、1968年パリの5月革命を契機に生まれて、1989年ベルリンの壁崩壊くらいまで続いたと言われています。その後の我々のいる時代とは何なのかというのが、今日のテーマなわけですが、ある人はリキッドモダニティ、つまり液状化だと言います。また第二の近代とか軽い近代と言う人もいます。ヘビーでマッチョなモダニズムという少し前のあり方に対して、今流行っている建築はすべからくライトネスという言葉をキーワードにしていて、軽さを非常に重要視していますが、1989年にポストモダニズムが終焉したと言われている以降の十数年は、曖昧模糊とした時代になっていて、どう評価していいのかまだその定まり方が明らかではないように思います。
しかしヴェンチューリ的なものが全て終わったかというとまだ残っている訳で、例えばクラインダイサムアーキテクツの作品で、明治通りと表参道の交差点、ラフォーレの前に展開するオブジェのような装置はその一つです。自然を記号化するプロジェクトですが、こういったショーウィンドーも現代においては自然になるのでしょうね。
それを前提として3つ、自然と建築との新しい関係として僕自身が捉えている建築をこれから紹介します。

 一つはガエターノ・ペシェというイタリアの建築家で、最初に知ったのはSDという雑誌のかなり古い特集号か、山口先生の書かれた『ロボット・アヴァンギャルド』だったと思うのですが、ペシェはどちらかというと実作を作っているというよりも非常に現代美術に近いような事をやっている人です。その人が実際の建築作品を街中に作ったのですが、表側が垂直のガーデニングみたいになっています。壁面に全体で132の植木鉢があり、その形も微妙に違って5パターンあって、植えられた植物は常緑樹を基本にソテツ、ぶどう、ユーカリなど、全部で55種類あります。現場に行くと野性的な自然で、今までの街中に植樹したものと違うという強い印象を受けました。見ているうちに人工物と自然との境界というものがだんだん分からなくなってきて、自然が建物を飲み込んでいくような感じがします。現代アート的でもあるし、あるいは人工と自然の境界を消そうとしている感じがしました。
似たようなイメージは、藤森照信さん設計の「ニラハウス」という赤瀬川原平さんのお宅、それと藤森さんの自邸「タンポポハウス」もこれと近い感じを持っています。これらは自然との関係では強烈な作品です。生の自然としての新しさです。
次は隠喩としての自然、新しい自然感と建築ということで、伊東豊雄さんの「せんだいメディアテーク」を例にあげます。このメディアテークは、手前の通りに大きなケヤキの木が生えていて、この建物に対して色々な評価は出来るのですが、今日は自然にスポットをあてて、建物がケヤキのメタファーだと考えたいのです。内部にはうねって上っていく13本の柱があって、その中は階段室やエレベーターになっています。この登っていく感じが巨大なケヤキのメタファーという訳です。
これと似たような隠喩をやっていたのはガウディだったのではないかと思います。そうではないんだとある建築家が書いていますが、僕はこの建物を見て新しい意味でのガウディみたいな印象を受けました。今まではエレベーターや階段室はガラス張りに出来ませんでした。階段室などは何かあった時に逃げられるように、コンクリートで固めて鉄の扉で閉めるというような法規定があるのですが、この建物の凄いのはここをガラスにしてしまっている点です。それが可能になったのは特殊な耐火ガラスが出来たからですが、今までは階段を上るときはコンクリートの中を上ってましたから、移動しながら風景を見ていくということは出来なかった訳です。ガラスですと登りながら自分が2階から3階へ貫通して移動していったり、外の風景を室内を通して見るとか、色々な視覚を得ることが出来るという意味でも新しい。
風景をラッピングしていくというか、オーバーレイしていくという、20世紀のアバンギャルド、バウハウスやロシア構成主義でフォトモンタージュなどで実験していた様な、そういった新しい視覚意識にようやく建築が追い付いてきたというか、都市意識が追い付いてきたような気が、このメディアテークにはあります。
最後にパリの「アラブ世界研究所」という建物ですが、ダイアフラムという装置が付いていて、コンピューターでコントロールされています。ちょうどカメラの絞りみたいに考えていただければいいのですが、温度や光、湿度などの変化によって、その絞りが動いて、それによって開口部の大きさが変わっていきます。我々が暑いときに皮膚呼吸するような感じで、外気温によって建築のファサードが変化していく建物で、一種の生命体みたいな感覚、そういった新しさを持っています。生の自然、隠喩としての自然、デジタル化した自然と見てきましたが、最後のデジタル化した自然であるアラブ世界研究所のやり方に、21世紀の新しい自然と建築の可能性が一番あるかなと私は思っています。

山口
今のお話は自然と建築にどのような関係を持たせようとしたかという事でしたが、例えばコルビジェは建物の屋上に人間の形をコンクリートで作っておりますね。自然じゃなくて人間の形。人間と建築の関わりでいうと、アラブ世界研究所の絞りは人間の視覚のメタファーみたいに使われている。そうすると人間と建築の関係は、先程のお話でいう自然と建築の関係となりますが、人間との関係というのは、既に同じ物を考えてなかったのではないかと思います。それでは次に面出さんにお願いします。

面出
私は照明デザインをやっております。東京芸大の工業デザインを、大学院では環境造形を専攻しまして、学生時代から物づくりを放棄していたのですが、秋葉原のヤマギワという所に呼ばれまして、その時に照明器具をデザインするのでなく光をデザインしようと考えました。私が今日、なんでここに居るかというと、環境芸術が、彫刻が街の中に並ぶというだけではなく、もう少しメタフィジカルな要素も包含しながら関わっていけると考えられていると思うからです。私の今日のプレゼンテーションは、初めに私がどんな事をやっているかを紹介し、その後に照明探偵団という、これは街の中の光を観察することをやっているのですが、それを紹介しながら環境芸術との接点を少し話してみようと思います。
一昨年に展覧会をやったのですが、私は建築照明、もしくは都市環境照明をしていて、作品を創るということでなく仕事をしているというつもりです。そうは言っても私達にも主義主張みたいのが少しはあります。これは東京国際フォーラムの光の床ですが、輝くのは照明ではなく建築や人が輝くのだと。偉そうなことを言うと、自分達の仕事も納得されるのではという期待があります。建築家が持つ建築に対する考え方や夢を、光というフィルターを通しながら空間、環境を作っていく、そういうことです。
これは新宿アイランドという、日本設計と一緒にやった仕事で、昔の公団から依頼されて、たくさんの人が賑わうような場所を作ってくれと。光は時を視覚化する唯一のデザイン要素だとして、光のデザインには時をデザインするのと同じ意味があって、どのように時間が流れていったらいいか、どのように移ろっていくべきなのかという事を、慎重に、細かく、首尾よく計画していくわけです。
次は富士急ハイランドのジェットコースターで、80秒位の光のドラマを作りました。二回乗った私は気持ちが悪くなりましたが、前の光に対して今の光がどうで、次の光がどうだと。食べ物を味わうのと同じように、しょっぱい物の後にちょっと甘い物を入れるとそれを感じたり。建築家は鉄とコンクリートで建築を作りますが、もっと光が素材であるという認識が出来たら、光で建築を造ってしまおうと、ちょっと冗談めいたことを考えると出来上がってくる空間の質は違うのではないかと信じているわけですね。
照明器具はきらきらと格好いいのもあるのですが、私達は光が色々な性能を持っていて、絵を描く絵筆の様に、どう空間に使いこなせるかというのが大切なので、光の性能にこだわりながらにんまりしている訳です。空間の機能が光を選択するのであって、可愛いから格好いいからという動機で光をデザインしないのです。例えば、この陳列館はどういう使い方がされるからどのような光があるべきかと考える。これは京都駅ですが、光をデザインするというより影をデザインしていて、出来上がってみれば薄暗いという、今迄とは違う画期的な陰影が残された空間です。 

 次は照明探偵団を紹介したいと思います。ライティング プランナーズ アソシエーツを設立した1990年に、照明探偵団を作った、というより課外活動を始めたんですね。照明デザイナーというのは机の上で光をデザインするのではなくて、もう少し街の中に出てみようと。そうすると随分違った、デザイナーが思いもよらないような、非常にダイナッミックな光が巷にはたくさんころがっていて、そういうのを見てとんでもないと大声で叫んだり、とても深く感激したりと、街を歩くことを開始しました。
廃版になってしまったのですが、鹿島出版社のSD別冊から本を出版したり、今映っているのは、品川で何年か前にライトアップゲリラを仕組んだ時のテレビ番組ですが、東京タワーや何とかブリッジを石井幹子さんがライトアップするような大がかりな物ではなく、市民参加で、街の中の小さな所を自分達で照らすという事をしました。照明メーカーが機材を貸してくれたり、ボランティアを募るとたくさんの人が集まりました。今紹介したこの本は日経BP社の「あなたも照明探偵団」で、売れなくて余っているようですが、その報告集です。こんなふうに学生や隣のおばさんが集ってきて、ライトアップをやる。幾つかのグループに分かれて、グループリーダーに事務所の者がついて、ある人が銭湯を照らしますというと、どのように照らすかをディスカッションしながらやったわけです。

 どうしてこのような活動が必要になったかというと、照明デザインや光を文化として捉えてくれるような素地が、まだ日本にはないと思うのです。電気つけろとか消せとか、照明や明かりは電気だという人がまだたくさんいるんです。そこからもう少し、光とか照明が持てる役割が建築や環境の中にあって、まして夜の時間にとても大切な生活の価値が生まれる時代ですから、光がついて安全だとか、たくさんの光が与えられて明るいなあだけじゃない、心が気持ちよく扱われているかという事をマスコミに言っていくためには、できるだけたくさんの人が光というものを文化として理解しなければと思ったわけです。
そういう事もあって照明探偵団は、まず照明デザイナーの自分たちの勉強から始まったのですが、会員証を1400名が持つような活動になった訳です。最近はインターネットのウェブで流しています。私達がしているのは、街の中で芸術を表現しようとかではなく、光を通じて街の中の要素が少しずつ変わっていく事、それは偉大な芸術家が芸術作品を街に置いていく行為とは大いに異なります。山口先生の、芸術は誰が作っていくかという話ですが、地域市民の中で環境芸術について考えていく、そういう素地を作っていく必要があるのではないかと僕は思うのです。

山口
どうも有り難うございました。今のお話の地域の市民との関係とか、或いは自分達の生きている目的や生き方を仕掛けていくという意味で、プランナーの立場で、市民、地域或いは自然がどう議論され、またそれがどういう方向に行こうとしているのかということを、次の谷岡さんにお話願いたいと思います。

谷岡
私は昨年の5月から12月まで愛知万博検討会議の委員長をいたしました。私自身の経験が環境芸術とどのような関係があるか分かりませんが、愛知万博会議の中で、環境問題が地域社会の中で最も重要な時代に、社会がそこから直面する状況に対して一つのプロセスを示したのではないかと思います。そのプロセスをどのようにプロデュースするかという点で一つの実験だったと考えております。論理の積み上げという学者タイプの発想ではなく、芸術家の発想、直感、むしろそういったものであったのではと現時点で考えております。
私自身は神戸芸術工科大学で一応芸術工学の博士号を取ったので考えてみますと、物のデザインに対して事のデザインがあり、ある意味で、もう物というものに飽き飽きしている。事を
どう時間の中でデザインしていけるのかと。市民の時代に、官主導という形で様々なセクターで様々なプレイヤー達がそれぞれ計画に関わるというような状況の中で、どのようにそのプロセス自身をデザインしていけるのだろうか、この事が私自身、ひとりの学者として、議長として邁進する自分、それを見ている別の自分というのがあったわけです。

 まず概略ですが、愛知万博は2005年の3月25日から行われることになっています。誘致が決まったのは1998年で、簡単に申しますと20世紀と21世紀のせめぎ合いの中でこの13年間迷走してきたと言えます。理念としての環境博、通産省が循環型社会という環境産業を推進していったり、新しい社会構造を生み出していくきっかけにしなければいけないはずが、愛知県は地域の発揚型社会事業が本音だと思います。20世紀型の公共事業、ブルド?ザ?型の事業の手段として愛知万博を考えている。21世紀の万博を20世紀型の手法で進めようとしていて、初めから矛盾を抱えているので、やればやる程、どんどん深みにはまっている。同時に自然保護団体は反対して、今頃こういう万博をやる時代ではないのでは、というような議論も起ってくる。
こういう状況が10年近く続いて、出てきたのがオオタカの巣です。レッドブックにも載っている、食物連鎖の頂点にあるシンボリックなオオタカの巣を、どかすのか、生かすのか。愛知県が最初、海上の森でやるつもりが、オオタカの巣に引っかかるということで、2.5キロ位先の青少年の森公園に第2会場を設けるという事になりました。しかし全体の面積は減らさない、じゃあ何の為に青少年の森に持っていったのかという次の矛盾が出て、造成する場所を減らすべきだという議論が出た。そしてNGOが非難、となったのですが、国際問題になってしまったわけです。
そうしている内に国際万博協会がこのままでは開催できないと言っていることが中日新聞にスッパ抜かれた。それで事業者三団体は中央の環境三団体とテーブルについて、打開策を一緒に考えなければなくなったわけです。これが2000年の3月から4月の段階です。そして万博推進派及び自然保護派の人達と、有識者が入って委員を構成し、事業者三団体も入って愛知万博検討会議を作りました。ここで万博の方向を決めて、そこから出てきたもので会場を決める。これが愛知万博の市民参加、あるいは環境という時代に大きな影響を与えた転機であるというふうに思っております。
ではなぜ愛知万博が難しいかと申しますと、全く互いの立場に対してリアリティのない様々なプレイヤー達が、一緒にやるのだと言っているということですね。互いの方法は全く違いますし、喋っている言葉も違う。そんな中で物事を一緒にやっている。これをどこかで解消しなくてはならない。事業者側(通産省、愛知県、財界)は何を言いたいかというと、通産省は循環型社会のモデルを打ち出したい、愛知県は土地開発をしたい。愛知県は数ある役所の中でも、最悪の保守的な役所でありまして、問題は彼等には現実に物事を運営していくというマネージャーとしての認識やリアリティが全くなかった。そしてそういう状況の中で「べき」論、「はず」論だけで、お互いがぶつかり合って、何も決まらなくてバカヤロウとなってしまうということなのです。

 検討会議以前に行われていた、「企画運営委員会」という学識者の会議がありました。多様な考えを持つ若手の学識者が集められました。これは試みとしては非常に画期的だったのですが、実はその人達は集めればいいのではなくて、集めてどうするのかというのが問題であるにも関わらず、委員の中でごく一部の意見だけが取り入れられ物事が決まっていて、大半の委員たちは不満を残すだけだったという、大きな失敗をしてしまったわけです。
加えて市民の中には慎重派、反対派といわれる、自然保護団体に代表される人達と、推進派といわれる人達があります。この人達こそ、時代状況の中である種の岐路に立たされているのだと思います。それはローカルなこだわりを優先するべきなのか、或いはグローバルなのか。様々な市民団体がそれぞれ選択に迫られ、どんどん先鋭化していく。先鋭化するということは純粋だが、孤立化の道をたどるのか。妥協に妥協を重ねなければいけないけれど、市民を巻き込む事かできるのかという、この選択はとても重要なんです。全ての団体が迫られているところなんです。反対運動を続けるか、或いは参加することで、環境万博にして、そこに影響を与えて自分達のこだわりをワンステップ、ツーステップと前進することもあります。
推進派は実はいい加減なんです。反対派にはこだわりがあるから反対しているんです。推進派には何もこだわりがない。大きく分けて推進派は、なんとなく推進派、お付き合い推進派、あわよくば推進派というように私は呼んでいます。お付き合い推進派というのは、うちはトヨタ系列だし、といって付き合う訳ですね。なんとなくというのは国が言っていることだし、反対するのも何だから私は賛成だと言っちゃう。あわよくば推進派というのは、ひょっとしてうちが儲かるかも知れない、観光客が増えるかもしれない、この人達は 積極的な動向はない訳です。推進派というのは数が多いけれども何も分かってない。従って論争をやると必ず反対派の人達に負ける。
そういう構造の中で推進派の人達と共に議論をやらなければならなかったので、とても大変だったんですが、第3セクター或いは市民参加で、真剣に考えて、市民が反対して何かを止めるんじゃなく、建設的な対応が有り得るんじゃないかというような人達が増えてきています。まだ少数で人も物も金も時間も欠如しているんですが、それなりに、今までとは違う組織、各々の市民参加のあり方というものを考え始めている。そういった状況でこの愛知万博の計画ラインというのはできたわけです。
そして最後にこれらをまとめなければいけない万博協会が、典型的な第3セクターで、タテ割りの権化なんです。それぞれ出向元を見ているので、通産対建設省、環境庁対厚生省、国対県対自治体というように足の引っぱりあいを常にやっておりました。市民に対して情報は共有しないというような事が貫かれている。その一方で21世紀の万博をやるんだというお題目の上に組織自体が存在している。万博グローバルスタンダード、環境時代だとか市民参加だと言ってしまうと何かそれをやらなければいけないということで、検討会議が作られたんですね。

 この会議には非常に画期的なものが3つあって、一つは公開。インターネットを通じて公開されましたし、同時に傍聴席が設けられています。もう一つは委員決定のプロセス。推進市民団体、自然保護団体が委員を選ぶにあたって、各々が自らの委員を選んでいる。学識経験者は、協会のグループの関係者が選んでいます。これがあわせて28人の委員になります。
そして決定権。どういう決定でも合意が出来たなら、この合意に事業者は従わなければならないということ。ここまで言い切ることができたのは何故かというと、誰もこの会議で合意できるとは思ってなかったからです。28人皆ばらばらの人達に事業者の複雑さが加わってきたのですから、何年間も迷走を続けてきたわけですから、皆不信感の権化になっていたんです。県は協会を信用してない、協会は通産を信用してない、全てが不信の構図です。その上2ヶ月足らずで結論を出さなければならない。またその間10年、制約条件が既に固められてしまっていたので、こんな検討会議を国や事業者が作る決断をした唯一の理由というのが、決して合意ができないと踏んでいたからです。
このどうしようもなくなった万博を財界や国や県がやめたなんて言ってしまったら格好悪いですよね。それでここはもう市民に任せて、合意ができなかったら止めましょうと、市民が合意できなかったと言ってしまえる状況を作ろうとしたんじゃないかと、私は今でも思っています。で、もし潰してしまおうと考えているのだったら、かなりいい作戦だったと思うんです。ただし、そうは問屋が卸さなかった。私はそれで頭にきて委員長に立候補したのですが‥‥。
日本の社会が高齢化していく中で、税金の負担率というのが問題になると、市民セクターいわゆるボランティアといわれる人達が活躍しなければ、日本という国は維持していけないような時代になっていく。また環境問題というのはおそらく21世紀の最大の問題で、自然保護団体といわれる人達が活躍していかなければならない時代がくるのに、市民や自然保護団体が万博を潰したと言われる事で、愛知県の市民運動、環境運動が少なくとも10年遅れてしまう事になりかねない。これは何が何でも合意しなければならないと私は決意しました。可能性としては2割から3割のあいだで合意が出来るかと思っておりました。

 この会議をプロデュースするにあたって、幾つか新しい先例を作りました。まず委員長に立候補して、おそらくこのレベルでの会議としては日本で戦後始めて委員長に関しての選挙が行われました。もちろん通産、協会として既に意中の委員長がいて、決まる筈になっていました。選挙に持ち込んでしまったのは何故かと言うと、会議の自立性を確保したかったからです。公開されるという素晴らしい条件がありましたから、後は自立性を確保すれば、官僚の関与なしに会議を仕切れる可能性があったのです。これが第1のプロデュースの発端です。
2番めに、すぐ私が申し入れて作ってもらったのが、検討会議MLでこれは非常に役に立ちました。お互い不信感のある、視点の違う人達が迅速に情報を交換しなければならなかった中で、情報の共有化を徹底して図り、会議と会議の間にも議論が続くような状況を作ることです。
そして3つめには、各委員にどんな万博をやりたいのかを全員から提案してもらうということです。週1のペースで1回3時間半から5時間の会議を皆がやって、同時に第3週から第4週に各委員から万博に関するありったけの提案をしてもらいました。何かをポイントの軸に対立するということから、提案するという形へ徹底して作っていきました。そして現地を実際に皆で歩いて共通体験をできるだけ持ちました。
そしてこれがおそらく一番画期的ですが、検討会議オープンカフェというものを作りました。第3・4週で提案が出てきて第5週ではそれに関して議論した訳ですが、第5・6週の会議の1週間の間にオープンカフェとして、ワークショップを設ける。協会のロビーを借りて6時から12時まで開く。ここで委員長試案の叩き台を作るために、ありとあらゆる人に一緒に作ってもらうという試みをやりました。つまり対立して議論するという軸からコラボレーションへ徹底して持っていく。皆さんが提案していく中で、対案比較をしろと学者さんが大変うるさかったんですが、私は今回の複雑な状況の中ではそれでは会議にならないと思っていたし、熟した考えが出ていないと思ってましたから、1つの案を徹底して皆で作るというところへ持っていきました。
オープンカフェでは実際には、1・2日は広域連係として市民参加の万博という事が出てきて、皆でイラストマップを作って、3・4日目にプロのイラストレーターを呼んで、愛知県の地図に、どういう事が可能かという事を埋め尽くしもらいました。同時に各分科会で様々な観点によって意見の集約できないかを考えました。
最終的に合意は8週目で出来たのですが1番の問題点は、早すぎるスピードの中で、委員と自治体の間にかなりのギャップが出てしまったということです。また情報を共有化すれば共有化する程色々な人が口を出したがり、無責任な人達の雑音が入ってきて、委員達が大変ストレス状況に置かれたということ、マスコミが関心を持ってくれたということは非常に素晴らしかったんですが、その一方、ある意味で社会的な責任を必要以上に感じさせられました。それから、万博内容よりも会場問題を優先せざる得なかったので、やはりそこに残った問題がありました。

 ただ成果として残ったことが、私には4点あります。新たな会議スタイルというのが出来たこと、もう一つは今も続いていますが、推進派から強硬な反対派にまたがる、同じ釜の飯を食ったという人間関係が出来て、一つのネットワークとして働いていること。このネットワークが一番大きいんですね。
ごく最近、堺屋さんが愛知万博総合プロデューサーに指名されたんですが、結局退任なされることになりました。これは、今まで市民参加だとか環境破壊だとかということで作ったコンセンサスを、あの堺屋さんであっても動かせなくて、あえなく敗退したのだと思います。これは同時に市民の地位が、不可能であると思われた合意を成したことによって、愛知県で非常に上がった。だから市民を無視してできなくなったということです。
もう1つの重要な強調点として、市民語というもので会議を行うことで共通語が出来たことを指摘したいと思います。例えば開発という言葉、先ほどから環境だとかデザインだとかいっぱい出ておりますが、自然保護で使う時と建築が使う時とは全く違うんです。おそらく建築が自然だとか環境だとか言えば言う程、自然保護団体の人達は態度を硬化する。非常に嫌われると思います。あなた方が言っている自然は、私達の自然じゃないと言うだけの話です。言葉がすれ違ったまま議論される事で生まれる数々の問題があって、これはできるだけ市民語で全部やりましょうと途中で気付いて皆で始めた。それから事業者の説明も変わってきて、お互い理解が深まってきたということです。
環境芸術というのは新しい言葉なんです。環境芸術という言葉自身が一般的に通用するのかということを考えながらやっていかないと、駄目なんだろうなと先程の皆様の意見を聞いて私は思いました。

山口
次に分科会の座長の方々に、一言ずつお願い致しします。

國安
作品を作っている立場からすると、今、スライドで拝見した建築は自己主張ばかりが目立って、正直言って、よしてくれよという感じですね。ただこれは、建築だけじゃなくって今の芸術は全部そうですが。
私には20世紀型の都市型の芸術とか都市型の価値観が、ある種の限界にきているという反省点があります。環境芸術学会では都市の話ばかりされてますが、これからは田舎のほうが面白いし可能性があるんじゃないかという気がします。
妻有と雨引の両方で作品制作を経験しました。妻有はプロデューサーがいて地元の人にすれば、上からある日突然、作品が降りて来たわけです。それはそれで意味があって面白かったんですが、現地制作をやった側としてはワクワクしなかったというのが正直なところです。雨引の方は逆に下から積上げてきましので、ちょっと面白かった。ただ、実際は本当にささやかで、作品もみなポケットマネーから作るのでしょぼいです。しかし、抱えている問題は妻有同様に非常に大きかったんじゃないかという気がします。
どっちにしても興業としては人が集められました。町興し、村興しとしては非常に成功したと思います。箱物行政が行き詰まる中、妻有式は、地方にお金を落としていく方法としてそういうのもあっていいのかなあと思うんです。ただ、よそで妻有式を真似ても基本的にそこは食い物にされていくと思います。ちょうど、一時の地方博ブーム同様、結局は地方が食い物にされて、儲かったのは代理店だけという、あの状況になっていくんだろうと予想しています。これからは、地方の窓口として有名外タレ作家を呼んでこれる仲介屋さんが一番得をするのでしょう。雨引式は、勝手に自分達でやっているから自由であり、純粋なんだけれども地元から孤立する可能性があるし、お金がないので華やかなことはできない。妻有は町興し、村興しが目
的。結果は同じかも知れないが、雨引は結果としての町興し、村興しになればいいなというスタンスです。
両展を通じてのキーワードは、自然とか環境とかいう言葉になると思います。自然は、私の分け方で言うと、環境保護の人たちが叫ぶ「手つかずの自然」というのではなくて、「手の入った自然」というのが本当は重要なんじゃないでしょうか。都市は「手の入り過ぎた自然」です。
手付かずでも手の入り過ぎでもない、程よくという条件が付くんですが「手の入った自然」景観を作っていく事が、物質的経済の豊かさの後に来る、本当の豊かさになっていくのだと私は思います。開国以来、富国強兵から戦後の経済復興へ日本は進みましたが、これからは景観復興だと思います。単に物質的に豊かになっていくのでなく、「手の入った自然」という豊かな生活景観を作っていく事が、これから重要になって行くのだと思います。その中で、アーティストがささやかだけどもやれることがあるんじゃないかという事が、今私が考えていることです。
両展覧会とも終ってみて率直に面白かったです。妻有のように耳目を集められないですが、雨引の里も、やってる最中にワクワクするとか、何が出てくるのか分からないけど、ひょっとしたら新しい物が見つかるかもというドキドキ感がある。そういう意味で、注目する状況になっているということを報告します。

山口
人間が色々手を入れた自然の中に芸術が入って、どう自然と芸術が共存するか、方法論か、実践した事はどうですか?

國安
今の話は非常にロマンティックな話なんです。現実には、地方といっても経済システムのひずみで、決して美しい環境自体を保ってきてはいないです。況で荒れているわけです。その中でもゆっくり結果を焦らずに、10年20年という長いスパンで、人の顔が見えるところ、議論が出来る関係の中で、理屈倒れの現代美術でも作品至上主義でもない第3の道。政治でいえば、リベラルでもないコンサバティブでもない。前衛主義でもアカディミズムでもない、そういう方法がないかと思っています。それが分かれば苦労はしないのですが。トボトボといろいろやっています。何が飛び出すか未知数ですが、確かに手応えは感じてるというのが現状です。

山口
次に、國松先生は北海道で公園作りに関わられたのですね。

國松 
明治4年頃、北海道開拓の指導者のひとりであるアメリカ人技師アンチセルが、札幌市の南区に軟石の層を発見して切り出しが始まり、昭和52年に採掘が中止された場所を都市緑地として札幌市が公園化することになり、5人の彫刻家がそれに関わることになりました。
従来型の公園はランドスケープデザイナーが基本設計してデザインが決まり、彫刻家がオファーを受けて作品を設置する形式が常ですが、この事に不満を持っていて、もっと計画段階から参加できないか、もっと公園全体の設計に彫刻家が関わっていけないかということを考えていた時、たまたまこういう公園化の話をもちかけられ、我々が当初考えていた彫刻シンポジウムと合致しました。
また、こういう公園を作っていく際、市民の方には一切途中経過が知らされないままに進行し、いつのまにか公園が完成してて、さあ使って下さいというケースが多いように思うのですが、石山緑地では公開制作という手法をとって、市民の方々に制作途中から見ていただいたりしました。現在町内会が主催している「石山緑地芸術祭」も、公開制作を通して完成前の公園に触れていった中で、町内会の方も行動するようになり、そういうイベントに結びついたという気がします。
彫刻家にしても、今回の場合は共同制作という手法をとりましたが、5人の彫刻家が普段は全く違うタイプの彫刻を作っている訳です。私の勝手な解釈ですが、デザインというのはどちらかというと専ら他者のことについて考える仕事です。それに対して彫刻、絵画というのは専ら自分のことについて考える仕事であると思うんですが、今度の場合、5人がここを使う市民の事をどう捉えてデザイン化していくかという事を共通項として考えながら制作したことが、1つの形に結びついていったのかなと思います。それぞれの個性をある意味で押さえながら制作していった結果かなと思います。えながら制作していった結果かなと思います。

山口
産業遺跡というのが、石を削るだけで全部終わりというような遺跡で、それに手を入れていく形で彫刻家が関わった。1番面白かったのは四角い穴がありましたよね。その近くに石が転がっている。これは石場に出来た穴に手を入れて、転がっている石を作品のごとく扱っているという、まさに共創、コークリィエーションというような風景だと思って見ました。市民は公開制作の時にどういう関わりをしていたんですか。

國松
今回の場合、国の補助事業の1つでやってますので、例えば市民のアイディアを持ち込んでそれを我々が具現化していくという手法は、やりにくい状態だった思います。図面を最初に添付しますと、使用する石のトン数とか出てまして、後で我々が石を削りたいと言ってもトン数が減ってしまうから駄目だとか、国の補助事業の場合その縛りがあります。そういった意味で面白く市民を巻き込んで参加させることは不可能だった、というところが正直なところです。
公開制作では、市民に制作現場を観ていただきながら、質問に答えたりしただけでしたが、「子供彫刻教室」では、そこで採れた石と同じものを使って、彫刻を制作してもらっています。

山口
ではシャルルさんにお願いしたいんですが、先程面出さんのお話で、光のスケジュール、或いは光の流れといいますか、それを計画していくという事でした。いかにもそうだと思うし、音の計画というのも時間の流れの中に残っているなと感じる。それと環境との関係をお願いします。

シャルル
山口先生プロデュースの企画、大阪住まい情報センターのロトンダのパブリックアートについてですが、1999年の秋、完成する前に、環境の音とのバランスを測って、何度か音楽の調整を行いました。一年後、そこにもう一度行ってみたのですが、不思議なことに最初は何も聞こえなかった。大きな交差点なので、交通の音量はかなり高い。しかし、暫く待ってみると、段々耳がその音に慣れてきて、私の音楽も聞こえてくる。このような音の構成を、交通の音とグループ化できるかという発想については以下の通りです。
ジョン・ケージが述べた「自然の働きを真似する」ことを試み、自然の原理に基づいて一種の音環境を作る。そのために自分の欲望を外して偶然性を使うといった考え方からの着想です。それによって、作者の意図、存在を強調する「不透明な」音を提案するのではなく、音による「間」を作るというところが一番大事かと思います。ケージの4分33秒は音楽史において一番分かりやすい「間」であるかと思われます。4分33秒間、演奏者は沈黙を守る、という曲は周知のところです。その間環境の音が(観客の溜息も含めて)聞こえてきます。時間という次元
をはずした形で、0分00という曲もあります。この曲の場合は一つの行為を、時間を測らず、最後まで行うという作品です。その行為の音を増幅することによって、音楽的な要素以外の音
を意図的に聞かせる、という作品です。つまり意識させるためにその間を聞いて頂く。スピーカー/アンプというメカニカルな装置によってその「間」に存在する音を強調させる。
大阪の場合も、成田の場合もこういった音を提供する事で、空間を占領するのではなく、一つの余裕を与える、というような考えのもとで、場所の使い方あるいは生かしかたを提案した
のです。その場所を、沢山の人が通りますが、その人達との関係が一番大事であって、その関係において、丁度いいバランスを保持し続ける事が、芸術の使命だと思います。

山口
音というのは、説明の言葉とそれからどんなことでその音がたっているのかがわからないと、こういう環境の中での音のデザインは、具体的にイメージされていないと思います。
先程の妻有のプロジェクト、谷岡さんも色々な作品をご覧になったと思いますが、國安さんの作品のお話も聞かれて、あのプロジェクトというよりもああいう景観の中で、作品を色々な形や場所でご覧になった印象を少しお願いします。

谷岡
観賞として見る限りとても面白かったと思います。万博への展開がどうできるのか見えてくることも考えられました。今後のプロポーザルの参考になると思います。
下からの積み上げと、上から作る事をいかに繋げていくか、実はこのキーが見つけられれば実際のアートの完成度は問わない。重要なことは何かを起こすメカニズムやシステムみたいなものを構築していくことで、それが私の興味柚です。おそらく妻有でもなく雨引でもない第3の道というものをこれから4年かけて探していきたいと考えております。
ただ妻有に対して難癖をつけるなら、見てとても面白く、また手付かずの自然ではなく手の付け過ぎの自然でもない、ここまでは私も同意できます。ではこれを維持できるのかということになると、日本の里山、雑木林、棚田、民家が生活の景観として美しいのは何故かというと、100年200年に渡ってある種の均衡性をもって、中にダイナミズムを入れながらバランスや調和のとれた関係で維持して、可能だということなのです。
今、芸術作品を10年20年スパンで見た時、それに耐え得る状況があるかということ。外からお金を無理に注入したり、管理者と称する人を注入しなくても、バランスがとれていくような状況を作り出せること。それを本当に為し得なければ、手付かずでもなく手の付けすぎでもない自然とは言えないのではないか。継続性がなければ、それは自然とは言えないと思います。

國安
そのことは重々分かっており、「手の入った自然」というのは今の経済システムの中では無理だと私も思います。現状では経済の循環システムの外に景観復興はありますから。
飯島さんからコゾボの乱のお話がありましたが、1989年ベルリンの壁が崩壊して1991年にソ連が崩壊したところで20世紀は終わりました。21世紀はお気づきでないでしょうが10年前からもう始まっています。21世紀にはマルキシズムでもないキャピタリズムでもない新たな経済システムを僕達は作らなければならない。平成不況はバブルに突っ走って、冷戦のあおりで金融敗戦になったための単純な不況ではありません。根本的な問題があります。いまの経済システムで世界がこのまま行くとは思えない。次の時代の経済っていうのは20世紀型都市のキャピタリズムではなく、出来るのか分からないですが、豊かな景観形成を価値の基準に置いた生き方を可能にするキャピタリズムだと思います。それを僕らは見つけなくてはいけない。10年前ぐらいからパブリックアートとか、環境アートとか言われましたが、それは都会の装飾品というだけで、そんなものは無かったのではないでしょうか。環境アートとは何か。それは、「手の入った自然」の豊かな景観ではないかと思います。これは、生活景観の創出にとどまらず、景観を作る事が国家目標になるほど、壮大な日本人の生き方や社会システムの変換を意味します。大洞吹きの主張ですが、芸術は、ゆっくりとですが、人々の感性を変え、意識を変え次の時代を準備します。
先程谷岡さんの話で、会議での共通語というのが3つ目に上がったのですが、お話がずれてしまったので、最後の4番目を教えて頂きたいと思います。権力というのは何も司法立法行政の三権だけではなく、第4の権力としてマスコミがあるし、第5の権力として市民もあって、最近では第6権力として有名人というのもある。権力そのものが悪いといえば何も決定はできないわけです。問題は何をやりたいかという事。何をやりたいかというのは、何を人生に求めるかという志だと私は思うんですね。
雨引の芸術家たちとは、何でも有りの絶望的なフニャフニャな今の芸術状況でも芸術の価値をやっぱりもう一度作り直さなければ、という志を確認しあっています。何も権力が悪いわけではありません。何者も権力になり得るわけですね。そこを考えてみれば、小さな利害関係ではなく、もっと大きな生活意識や価値観のパラダイムを変換していくようなことを考えていかないと、博覧会も芸術も結局はセンセーショナルなだけで、全然中身がなくてスキャンダルなだけのズブズブ芸術と二番煎じ博覧会しか出てこない。見ていてつまらないですよね。でも、そのことを誰もつまらないとは言わないし、王様は裸だと言わない。アーティスト達が、批評するということは、自分にも批評が返ってくることだから勇気がいるんですね。腰抜けで怖くて誰も言えないんです。そういう事をちゃんと喋っていかないとだめだと考えています。

山口
4番目は何かということですが。

谷岡
4番目は市民の地位です。ある種の市民のポジショニングが初めてここで、愛知万博に関してできたと思うんです。それから様々な市民たちのネットワークです。これはアートでもあるわけですが、それをきちんと作って市民が参加できること。徹底した社会実験としての万博は、何かと言うと、循環型縦社会という「人間と自然」「人間と人間」との新しい関係を構築するということを今から求めたいと思います。

山口
ここで会場の方からご質問、ご意見を是非頂きたいと思うのですが、挙手して頂けますか。

会場A
飯島先生がお話しになられました、建築が自然と乖離したというか隔離していくというところで、谷岡先生の万博のお話と関わることを一つ指摘しておきたいと思います。あのアトリウム建築つまりウォール工法でガラスと鉄を使って、第1回ロンドン万博における水晶宮があった。あの系譜が今日のお話の中に抜けていると思いました。植物をガラスの箱の中に取り込んでいくあのパクストンのやった温室設計です。
第1回万博で工業化時代と過去の伝統的なものがモニュメンタルになされている。事のデザインとして、その視点が、ネットワークフリップという新しい万博のスタイルという谷岡先生のお話は、恐らくここにおられる様々な環境アーティストの方が、様々なコミュニティーで土地の人達の軋轢を経験されている、そういう意味で有効な指摘であるというコメントです。

山口
先程のお話の中で「光と自然」「建築と自然」があって、その後、面出先生のお話で光とやはり構築というか建築というような感じのお話しが出てきたように思うのですが。
僕も仙台にメディアテークを見に行ってきたのですが、NPOのような市民グループがあって、市民が積極的に運営に関わっている。計画が、たしか本になって出ておりましたよね。その辺のところ、飯島先生はどういうふうにお考えですか?
建築が出来て、自然を取り入れて光も取り入れて、透明性が増しているから上に行くのか、下に行くのかという、今迄の建築と比べると階層の意識を持たずに動ける。やはり建築というのは、動き廻るということではないかと。あの場合、新しい方法論として上手く出ていると思うんです。それに対して運営の問題があると思うんですが。

飯島
率直な感想をいうと、最初、ドイツZKMみたいな本当のメディアテークだと思って、期待して見に行ったんです。メディアテークというぐらいだから最新のメディアで溢れているだろうと思って行ったんですが、愕然としたのは普通のタイプの図書館なんですよ。僕が建築の人間なので建築を擁護するわけではないのですが、作品自体はかなり個性的なのですが、ソフトというか中身がそれに全然ついていってない。あれだけの革新的な建築を作っていても、中身が古典的な方法論しか用いていないという凄いギャップがあって、言い方が適切でないかもしれませんが、やはり行政や使う側の意識をもう少しどうにかしていかなくてはいけないと思いました。出来ないのかと言うと出来るんですが、政治的問題で出来ないのではつまらないですね。だから伊東さんも、もっとやって良いよと言われたら、きっともっとよく出来るんだと思います。本当のメディアテ?クになれるはずです。現段階では、半分位でしかないんですよね。

面出
僕は反対するわけではないのですが、何回か行って、なかなかたくさんの人がいて、仙台の人はよくこんな所使っているなという印象がありました。期待していたようなメディア、新しい雰囲気というのは、やはりプログラムが何かあったんじゃない?でも建築家が言うような鮮烈なイメージでなくて。
新しいメディアを造形化しようとして作った伊東豊雄のアイディアが着地する時、もう苦渋に満たされた色々な市民との軋轢があって、伊東豊雄さんにとって最大の難所だったし、勉強したと言ってました。豊雄さんは苦しかったんだろうけど楽しかったと言ってましたよ。僕は見事だなと思ってます。磯崎新さんも現場を見たとき、コンペの審査員だったんだけれど「あったかいね。暖かい空間、凄いね。」と言われたと自慢していました。だから言ってみれば、私達がプロジェクトに凄く期待した新しいメディアは、やっぱり現実とのギャップがあって、でも僕はあそこにできたあれがそのまま上野にできても、東京の人も同じように気持よく使ってるのではないかと思って、ある意味ほっとしました。

会場B
今日のシンポジウムは、色々盛り沢山なので、どこをどう論点にしていいのか少し迷うところもあるのですが、谷岡先生のお話をお聞きしていて僕も同じ立場にあったものですから、社会という事に対して非常に臨場感があるように聞かせて頂きました。また國安さんの景観とか豊かな空間を築くという様なお話も、作家の一つの方法としてよく分かるところがあります。
でも今日強く思ったのは、自然がテーマですが、自然というものが非常に縛られまくっている状況があって、豊かなあの自然を景観をという話の前に、絶対に出てきてしまうのが主体的な行動という事です。これはアートとしてやっていかなければならないかなと思います。個人のアーティストがやる活動とは別に、こういう学会の中で、アーティストが組織化できる方向へ、社会に対する投げかけというのか、切り開き方というのができないかなと。
そういう意味で、仕組みとしてプロセスをどうやって過ごしてきたのかという谷岡先生のお話は非常に参考になりました。またこういう学会を通じて、アート自体の一つの機能として良い作品、空間を作るという事もあるけれども、もしかしたらまずは凝り固まった社会をいかに切り開いていくのか、そういう議論がこの学会で出て欲しいなと思っています。

谷岡
私は出来たら来年の大会を海上の森でやりたい。ここはほとんどパビリオンなど手付かずで、おそらくパブリックアートの会場になっていくだろうと私は考えていますが、ほとんど土を動かさないでどこまで出来るのかという問題だと思うんです。そして、例えば野鳥を追い続けるとどうのこうのと言ってくる自然保護の人がいたり、音をたてるとどうだこうだと言ってくるでしょう。自然保護の人達は生態系全体を守る為に気にしている。どれだけ投資で動かすということではなくて、一つのエコシステムの中にどう侵入してもいいのかという事を彼らは見ている訳ですね。だから景観だとか、美とかいう問題だけではない。その永続的なバランスをとることを重視している。
ではこの人達と皆さんが話し合って、彼らに実際に会場を案内してもらって、プランを出すと言ってみたら彼らはノーというかもしれない。その時にどういう解決があるのか。お互いの情報の共有化、視点の共有化でやるしかないと思う。例えばそういう形で、初めから自然を守りたかった人、地元の人、そして皆さんの様なアーティストという人達が一緒に仕事をしていく。市民を皆さんから発せられるアートの情報の受け手と考えるのではなく、ある種の社会状況の中で一緒に作っていく作り手と考えていくという実験が私は可能だと思っています。是非学会からも発信して頂いて、そうすれば私は愛知の様々な関心のある団体に呼びかけてコラボレーションしていく。一緒に万博という本当の環境芸術と呼ばれる物を創りだしましょうと、はっぱをかけられる。まだ4年近く時間がありますからこの内にやっていきたい。是非これからやってみたいと思います。

会場C
4月 から、谷岡先生よりもっと小さなスケールですが、ボランティアの5団体で環境フェスタをやったのですが、実は非常に困ったんです。市民のという事で市の企画課が座長になり、15名で構成されて行われたのですが、色々な方がいらっしゃいまして、私は芸術家の立場として参加しました。そのやり方が本当に日本の縮図というか、非常に驚き、仕組みが必要だと思いましたが、その時の場の雰囲気に大いに左右されるんです。
環境問題で大変な方がいて、雑草1本も抜いてはいけないと言うんです。特に市には自然の観測の森という環境庁の作った森があって、その委員の何人かが出席したので、もう大変なお墨付きな人達が付いていて、私などは足下にも及ばない。私はゴミ問題についてやったのですが、ユニークな発想というのはなかなか出てこない。行政の権力者からみればアーティストは縦横無尽に発想をもっている訳ですから、会議に最初から参加して、古典な意見でも面白い意見でも、その場では凄く和んでいった。牛乳パックの何とかいう、市民の発想というのは大体そんなものなんですね。これは全国的にもそんなところです。それでもそれは市民票を得るわけです。皆さん方もお母さん方の趣味のボランティアも大差ないんです。ゴミで環境モニュメントを作ろうという発想には何も賛成しないんですね。
それで言われたのが「ゴミでアートしたらゴミになるんですか?」ゴミでアートしたらアートになるのに決まってるじゃないですか。(笑)終わってから区民センターにモニュメントを置く事になりました。せめてゴミにならないモニュメントにしようと作ったのですが、行政は永久設置しましょうという。少し話しが違うのではないですかと言って、すったもんだしている。こういった状況です。少し身近な話なのですが‥‥。

面出
あの質問してもいいですか?今日の山口先生が言われたシンポジウムのねらいの中で、環境芸術という言葉に捉えられる対象がまだ明確になっていないという事が今回のテーマなんだとおっしゃっていて、私はここの所、非常に聞きたいなと思って来たのですが。そこに議論を戻して頂ければと思います。
私は環境芸術学会の会員ではないが、それでも皆さんに期待しているのですが、ぶっちゃけて言ってみれば芸術家の皆さんが徒党を組むのはどうかと思うんです。アーティストが集まって徒党を組んで何を自分達に影響したいのか。ですから学会がもし素晴らしい会になるとするならば芸術家以外の方々をたくさん入れた方がいいと思う。あまり一部の芸術家達の高尚な主義を満たすためのようなものになってしまうと、学会という形の意味がなくなるのではないかと思う。
ですから、できるだけ環境芸術学会というものが芸術家だけでなくて、例えば広告サインを扱っているオジサンが来たり、そのような人も含めてもう少し分かり易くなっていくのでもいいのではないか。私の照明探偵団は、別に芸術だとは思っていませんが、芸術を着手するために必要になってくるのだと思うんですね。学会に150人位の方々がいらっしゃるとお聞きしましたが、たくさんの立場があって、本当に高尚な事を自分で調べていく方々もおられるだろうし、芸術というものをもう少し分かりやすく何か市民に浸透させていく方も必要なのではないかと思います。

山口
そういう方も入っておられます。芸術家というのが昔の言葉ではなくて、この学会は初めからアカデミックな学会ではなく開かれた学会で、入りたい人は誰でも入っていいんだよと誘っています。今日も会場の方々になるべく多くの質問を頂けないかと思っておりまして、あと10分位ですが。

会場D
私も谷岡さんや飯島さんがおっしゃったことは日頃より痛切に感じておりまして、アート作品をどこにどう取り入れるかという前に、社会構造システムに対して、日本のアートと一般の人達との繋がりを、もっと開かれた形にできるようなシステムを作っていく為にこの会が存在して働きかけていければと思います。私も個人で仕事をしていて、公共の仕組みの中に作品を置く場合にそのお金の流れやシステムとかに振り回されて、5年間取り組んで、最後に全部元も子もなくなるというような事もありました。この会が発足した事によって、日本の経済的システムや政治的システムに対する私達の努力も、少しづつ良い方向へと向かっていくのでないかと思います。
去年、アメリカの田舎に新しくできたアートセンターに、芸術家として少しばかり滞在致しましたが、国内から来たアーティストと世界から集まったアーティストがセレクトされて、何人かで滞在して制作するのですが、アーティストが積極的にコミュニティーに働きかけて、公園の改装プロジェクトをコミュニティーと何日もディスカッションを繰り返し、アンケートで色々な意見を取り、アーティスト側の努力は全く凄まじいものでした。本当に私達がゴミにならない作品を作っていくという事は、それを使う人達も大切にして、私達も永年保持するような、一過性ではない作品を作っていかなくてはいけないのではと痛切に思うのですが。

谷岡
私達が考えているのは、環境芸術は紙一重で環境ノイズになり得るものであって、重要なのは色々な視点があるのでしょうが、アーティストとして芸術を妥協するというのではなく、いかにその限りの環境を使用していくか。そしてどうやって共同性や共有性を形作っていくか。景観を共有できるのか。ここをベースに考えていかなければならないかと思います。

会場D
私は新潟の里山で生まれ育って、里山を維持していくのにいかに労力を必要とするのか感じています。今の社会構造の中では全く生産性がなく、人々の善意に頼っているという状況で、里山は素晴らしいとおっしゃるけれど、里山は経済システムに組み込まれているものではないのです。バリに旅行をしてライステラスを素晴らしいと感じても、あれは観光資源として経済的に成り立っていることで、今、日本で里山を維持するのは全く経済構造から離れていると思います。私の自然感や美意識は里山で育ったので私にとっては宝物ですが、人の善意に頼って存在する里山はいずれ滅びいくものであると感じています。
是非この環境芸術学会が芸術論だけで終る学会ではなく、社会に食い込む学会となるように私も一員として思っています。

國安
その辺が立場が違うと思いますが、僕はアーティストはやはりアートを通してやるべきであって、結果として社会に訴えていくことはあっても、それを芸術の目的としてしまったら、もう芸術ではなくなると思います。

会場E
僕は会員ではないので、ここで発言するのは何なのですが、2日間参加して、芸術家の方は今日の話の中でも、やはり自己満足になってきているところがあるのではないかという事を指摘させて下さい。私は素人ですが仕事でアートと関わっています。自分達の作品がいいんだと何回も見せに来られる作品が多いですが、やはり採用された作品は非常に説得する力がある。 良い作品というのは見ていて気持いいし、楽しいし、将来残っていくのではないでしょうか。学会の中で自己満足することなく社会に働きかけて、ア?トの世界を更に進めていって頂きたいと思います。

國安
いくら芸術はパッと見て分かる。芸術は感性に訴えると言っても現実は芸術の軽重は簡単には分かりません。実は芸術は勉強しなければ分からないのです。自己満足という件に関して言えば、芸術の世界は勉強すればする程、底無し沼なんですよ。自己満足と本当のオリジナルは紙一重です。芸術の本当の価値がわかる人は、おそらく日本で数人でしょう。それは、次はバイオだとかまびすしいですが、遺伝子操作の実際が分かる人はほんの少数の人たちだけなのと一緒です。自己満足とオリジナルの差は非常に難しくて、自己満足だけでつまらないと、勉強しない素人の人は言うけれど、本当に芸術を考えて、それに人生を賭けて、自分の存在を問うて取り組んでいたら、自己満足とのギリギリのせめぎ合いです。今の文化が面白くないのは、世間が民主主義を信じているからです。多数の人にウケることがいいことなのでしょうか。分かり易い、受け入れ易いアート。そこにいかばかりの意味があるのでしょう。オリジナルは決して簡単ではないと思います。民主主義も衆愚と紙一重です。

会場F
今ここに集まっている人達は、色々な期待をして、利害関係も期待して来ている人たちが当然いるでしょうし、ある意味では、アートをどう解釈して仕事に結び付けていこうかとしている。価値観は様々に多様化していると思います。アートという言葉は芸術と日本語では訳していますが、本来、芸の術ではなくて人間の生きるべきことを模索するというのが非常に大きいのではないのかと思います。それが今解釈の仕方で、誰でもアーティストになれるというような‥‥。
分科会でも話したのですが、デザインとアートは基本的に違うし、パブリックアートとアートも違うと僕は思います。パブリックアートも幾つか仕事をしていますが、建築とデザインとアートの中間にあるような、様々な条件の中で、自分が持っているエッセンスをどのように生かしていくかということだと思う。アートというのは自分の生き様を露呈していく行為が原則としてあって、そう意味で個人的な作業ですし、理解してくれる人はあまりいない。けれどもやり尽くしていくことで、いつかその人の価値観が理解されるチャンスがあるのではないのか、でもそれをあんまり期待しない方がいいのではと思います。
そういう厳しい状況の中で、環境芸術という言葉をどのように解釈していくか、解釈の在りようが非常に様々になってきます。先程高橋さんが言われたように、パブリックアートの仕事をしている中で、自分が正しいと思った事が途中から湾曲されていきながら最終的には自分が期待しているような価値観での報酬は得られないで、そして中間のシステムでぶつ切られている構図は確かに日本にあるし、他の国でもあると思います。でもそれを自分の仕事としてやっていくのだったら、それを覚悟しながら、そして自分にとって妥当性を感じないのなら、妥当性を感じるような切込みというのか、エネルギーが必要だと思いますし、それをやっていくべきだと思います。
物を作っていくだけでは今の時代は受け入れられない、やっていき辛い時代だと思います。システムの中で物を作っていく行為が正当化されるということを反省しながら、それを提言していく。デザインにしても物を作るというのではなくてシステムを作っていくとか事を考えていくとか。どのようにその中に新しい価値観を投入していくかということを含めて全てが制作だと考えていかないと、なかなか今の時代難しいと考えています。

山口
実はこの学会の中の新しい研究会で、社会そのものの新しい枠組みを模索をしています。そのプロセスの中で我々全部生きていることは間違いないし、その中で目的としているのは、アートの社会的価値をどのように発見するかという事になっていくわけですから、そういう意味では今日、二時間半位のシンポジウムだったのですが、まだ結論が出ていない。あるいは結論は出ないのかもしれないですが、きっかけを与えて下さった今日のパネラーの方々にお礼を申し上げて、閉会したいと思います。どうも今日はありがとうございました。