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活動報告

シンポジウム「環境芸術・新たなはじまり」

2000年7月8日(土)13:00〜
東京芸術大学美術学部第1講義室

・パネラー  石山 修武 建築家 早稲田大学理工学部教授
伊藤 隆道 造形作家 東京芸術大学教授
クリストフ・シャルル サウンドアーティスト 武蔵野美術大学助教授
趙 慶姫 デザイナー
・司会 前田 義寛 (株)インダストリアル・パブリック・エージェンシ代表取締役

 総会に弓き続いて行われたシンポジウムでは.各パネラか環境芸術との関わりを述べられた。伊藤隆道氏は「環境」という言葉か芸術の世界で使われるようになった60年代のような大きなエネルキーで、次の時代を造り上1ナていく必要注を話され、石山修武氏は、建築の世界で従来の機能王義を超えた新しい取り組みがなされていることなどを話された。伊藤氏と石山氏の歯に衣をきせない(ワ)ユモアを交えた応酬には会場からも度々笑いが起こった。続いて趙慶姫氏はスライドによって、クリストフル・シヤルル氏は音と映像を使って、各々の活動を紹介しなから環境芸術に関わっている現在の状況を話された.次に「これからの環境芸術」ということで各パネラかこ自身の抱負・学会に対する期待なとを述へられた後、会場から数人の方に発言をお願いした。最後に司会の前田氏か締めくくられ.短い時間たったが活気のあるシンポジウムになった口こく部であるが内容を紹介する。

□ -シンポジウムの中から-
伊膝
当時、ちようど日本の経済が急速に上昇中て、歴史的に見ても日本か最も活気をおびていた時代しやないかと思います。漸幹線、オリンピック、万博といそがしい時代でしたかたいへん面白い時代でもありました。きょうのこの会場にも同じ体験をした方もいらしやるようてすが、若かった私達か自由に思いっきり、表現や発言かてきた時代でもありました。そのつの大きなきっかけになった展覧会か1965年に銀座の松屋て開かれた「空問から環境ヘ」展です。従来からの芸術の概念にはなかった環境という言葉がはじめて登場した展覧会て、それまで曖昧な立場たった自分達の表現に無限の可能性を感じたのてす。環境という言葉の響に多少抵抗かありましたが、空間という個人の観念的スケルから脱け出せる新たなイメージかあるような気がしたのです。
経済や産業だけてなく創造的なジャンルも大きなピクがあって、新しい試みの展覧会や実験的なイベントかたくさん開かれました。その頂点が大阪の万博で、国際的なスケルをもった作品か生まれました。それらの生まれる社会的な背景が今以上にはるかに整っていたようで、当時の若い我々を理解し擁護してくれた影の力かあったからです。
60年代のあの興奮を再ひ再現しようとは思ってはいませんが、私自身当時われわれを支えてくれたその影の立場にいるような気かします。つまり、時代を作る背景を作らなけれはいけないという思いか二の学会の立ち上げるきっかけにもなっています。次世代の優秀な人材か活躍できる基盤づくりも重要で創造的な作業と思っています。


今、日本が国際的に誇れない国だと言われていて、私自身もそう感じておりますか、それは美意識か欠如してしまったからじやないかと思う二とがあるんですね。ものの美しさたけでなく、美しい生き方というようなことを個々の人が考るようになれは、もっと良い方向に向っていくのではないかと。美術館で芸術を観賞しようというような意識のない方々にも、環境芸術という、嫌が応でも目にぷれるものを通して、美意識を高めていくことができる。そのためにささやかなからお手伝いができるのではないかと思っています。

石山
環境芸術とは何かと考えますと.私のクライアントが従来の機能主義的なクライアントたけてはなくなったわけで、例えば最近秩父の山の中につくりました『つくみハウス』というのはクライアントの人か非常に重度のハンティキャップの人のために森林体験をさせてくれ、森の中に浮かばせてくれという依頼かきたわけでずこれはもう出来て発表していますけれとも、この要求というのは従来の建築ではとても処理出来ないわけです。クライアントの方かアートになっている。クライアントの方か従来の環境を越えてしまっている。
そして北海道の方で目の見えない人のための展望台をつくっている。二れはすでに建築家よりもクライアントの方がすでにアトの概念に入っているようなんてすね。それから死を待つ人のためのホスビタルをつくっている。二れは従来の機能主義とか建築造形ではとても考えられない。すてに社会的要求というのかある。芸術というのは、はっきり言って社会と全然関係の無いという、役に立たないという従来の概念というものか社会的基盤として無くなってしまったのてはないか亡環境芸術という学会か活動をきちんとやりだすと、すく:「環境とはなにか」とか「アト」とはなにかとか必すアウトサイドから言い出すんてすね。理論闘争というのがあって必すせめき合いなさってとっかの雑木林て殺しあいというのて…。あんまりこの学会ては議論したくないというのが私の自己紹介という二とで。
今なぜこのような学会が必要になったかと考えますと、テクノロジか飽和状態になったと、テクノロシとは大量生産、大量消費というもの、大量通信手段か飽和状態になった。そして芸術もはっきり言ってうやむやな状態だと。つまり現実の方かアトであり凌駕している、越えている。そういう認識がある。資本主義的な、機能主義的な時代の技術は、はっきりと経済成長的なものに向けられていたんですけれとも、成執して多様化した時代はそれとは違うかたちに設計される。それでも使い道がある。僕はそこで環境芸術という非常に曖昧な概念が拡かるのではないかと思うわけです。

シヤルル
サンフランシスコの作曲家、力一ルストーンか指摘したように、通常、曲全体に於ける展開及びダイナミックかあるように思われるか、シナリオ及びストーリによって展開しているわけではない。音及ひシケンス/パトの順序を置き換えることは可能である。そのために、例えば音(のシケンス)の「あらゆる」コンビネション(組み合わせ)を創るコンピュタを使用する。結果として音楽の展開を抑制できない状況となる。この楽曲の中で音は、ヒエラルキ・階層をあらかじめ決定する全体構造に従わず、独立している。「und「ected」な音楽はマルチフオニック(多数音響的)及ひ多数方向的である。コンピユータはビッチ(音調、音の高さ)、インテンシティ(音価)やテユレション(音の長さ)、フィルター、パニンク(音の空問的位置)、エフェックトのパラメータの同しコンヒネション(組み合わせ)が二虔現れないように働いている。すると、各音はユニクであり、独立している。時間におIナる音の独立性は空間におlナる独立性に支持される。また、スビカの位置によって、または観客の動きとその視点/聴点によって、音楽は空間、つまり建築、環境や音景(サウンドスケーブ)となる。基本的要素(音.空間、メティア・テクノロシと観客)の特別関係に従って、それそれの要素の「妨害無き相互浸透」は可能となる。
「nexi ponU音楽はその時点て「undlrecied」(リチヤド・コステラネツの言葉:「壇指揮」、「黄指導」、「無制御」及び「無方向」の意味)て.意図(欲望)と無意図(偶然)の境界線を探求する手段(メティア)となる:このような音楽は観客に何かを伝えようとするのではなく、特別なメッセジを賦課することもない.「und「ected」音楽における「音と音の間」には.環境の音は同時に聴こえるように構成されている。つまり.音(のシーケンス)か独立していることによって、観客か環境の音により注意するようになる。一つの音は他の音に覆われたり、削除されたりすることはない。「すへて」の音を聴かせる可能性は和音の出現を提案する。この和音は予謀されているわけてはなく、ハントナ」ティ(総調生)、つまり音か他の音と合することは可能な状況から現れるのである。すると、音楽か「それ自体として成り立っている」(「hods lsef up」、ジョン・ケジの言葉)こ進展しない「und「ecled」音楽は「slaic」(静的)であるように聴こえるが、観客か聴きたい時に聴く(何かを聞き忘れた恐怖は無い)自白はそこて実現する.世界(の音)を楽しむ責任を意識するようになるたろう。

「Mn M」プロジエクト
1991年8月に、アトフオラム谷中(屋内と屋外)て行なわれたくCenlre vde>展で、様々なアイティアやプロシ工クトか生まれた。我々は、そこて、ます、ロラン・パルトか指摘した、日本文化における<理想的な>根源空間への探求を具体的な形で実現した。それは、近代日本の建築空間についての思想を知識に裏付けられる形で表現した環境作品であった。二の展覧会では、現代都市計画におけるく空>の重要性を強調し、その概念を具体的に、そして象微的に実現した。さらに、くマルチメティア>的な構想の過程についても、方法論的にも興味深い作品であった。そこでは、建築、映像(ヒテオとCG)、音楽とタンスという各芸術分野の間の基本的なハランスを明示した。空をイメージにした<建築のセロ次元>は具体化され、以降行なわれる展開の基礎になったと言える。
上野にある博物館動物園駅に関するブロジェクトはその意味て、くCent「evde>展の構想の実践的な展開である。駅とその周辺の特徴と可能性を明確にした上で、それを増幅することによって新しい可能性を見いだす二とができた。駅という場の存在を生かすという条件のTで、成田国際空港と上野駅の間を走る京成線の電車の直線運動を強調した。電車の「具体的な」直線運動の他に、抽象的な次元も存在する。博物館動物園駅は束京の代表的な文化施設の近くにある。それらは、束京芸術大学東京国立文化財研究所、東京都美術館、東京国立博物館などで、日本の芸術や歴史に関する大きな展覧会がしばしば行なわれる。その上、江戸時代の雰囲気か残っている谷中の入り口て.もある。
駅の空間と機能にかかわる「Mn M」という企画は、地下と地上、国内と海外、過去と未来なと、時間性と空間性、そして様々な運動を基礎とする。空間の中心く線路>は運動の場であり(従ってく空なる>と言えるだろう)、この企画によって博物館動物園駅の持っているくハ」アー>あるいはく門>の機能を再ひ発見し、定義することかできる。
くMuseum旧Metro>というプロジェクトの基本構想にはそれそれの要素か考察され、各芸術分野の多様な関係を明確にする意図も示される。上、下、ブラットホムと連結通路という、構内の3つの主な空間では、光と音のインスタレション・コンサトという名の<非物質的時間芸術>が上演された。1995年3月に行なわれたインスタレーション・コンサトは、構内空間の特徴及び相互関係を同時に知覚することかてきるように構成された。様々なスピ力や青、黄、赤という3つの色の照明器具は駅空間の中に設置された。駅空問を自由に歩き回る観客は、それぞれの空間で行われる「静」と「動」の関係を実験、体験することがてきた。1996年3月、数人の芸術家(造形作家、パフオマンス作家やサウンドアティスト)かイベントに参加することになる。その中で、池田亮司とクリストフシヤルルか共同インスタレーションを実現し、ミニマルな手段(音)によって駅空間を「生かす」ことを目指したのである。つまり、微かに聞こえる昔によって駅空間を間かせる/見せる目的で、8ケ所においてスピ力を設置し、数日に亙ってインスタレションを展開させたのてある。
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このブロジェクト(博物館動物園駅でのブロシエクト=都市のアクティヒティに着目して地T鉄の駅を舞台に様々な表現媒体をミックスさせて新しい表現を試みた)で多くの方々のモチベーションを感しることか出来ました。そうしたことをこの学会を通して進めていきたいと思っております。

前田
いま、新しい時代環境の中、新しい世界の枠組みの中でのlnterdscplne(学際)か求められているのではないか。dscplneの意味には「賎」(しつけ)、すなわち身を美しくするという考え方かあります。いまの日本には美意識が失われつつあるのではないでしようか。身を美しくするdlscp neから本当のnterdscplneか、生まれると思うのです。環境芸術学会はそうした本当に身の美しい人達が、専門を超えてクローハルに情報を発信していく開かれた学会になれば楽しいと思います。

□ -シンポジウム/会場からの声-
尾登 誠一
私は機能造形という様々な「機能」の認識と.これに関わる造形テサインを研究しております。私自身は機能というものを、ファンクションパフオマンスアフォタンスという段階吐で認識しておりますか、言ていえば本能に近い概念てはないかと考えています。先ほと石山先生かいわれたように.戦後.日本の機能主義に偏重した建築やテサインは、とちらかといえは産業主導型が多く、結果として、受けて不在や環境無視という状況をつくってきたのだと思います。環境的視座に根さした新しい価値の創造.私は環境という概念をわかりやすくいえは「つなくこと」と「くくる二と」て良いのてはないかと考えていますあえて私の専門吐を多少関係付けなからこれを解釈すれば.機能てくくり.そして繋いでいく内に.環境というキーワードは、様々な領域間複合の可能吐とおもしろさをはらみながら、必然的に連鎖してくるような気かします。そういう意味て環境芸術学会への期待は大きいものかあります.新しい事を起二す時には.必す、ある種の破壊か伴います。今日までの領域内ての研究や造形活動の既成の枠を拡大しつつ.相互にタイナミックに連携しあう新しい学会となるよう関わりたいと考えています。

山口 泰
私は音環境テザインの現場のプロジェクトを通じて、環境と生活の在りかたを考えてきました。環境芸術においては、2つの課題を考えています。一つは、環境と人を結び付ける媒体(メティア)としての役割、あとつは障害者(視覚障害者・聴覚障害者等)の環境感覚の表現化ということです。

サトルタ力タ
私達.彫刻家は個人的に活動していますと.こういうふうにつにまとまって話を出来る場か大変、大切なのではないかと思います。


□ 懇親会の開催にあたって 池田 政治

事務進行にたすさわった側として、懇親会の様子などを報告いたします。なによりも、ます、設立総会か無事にわり、懇親会の開催までこきつけた事か出来て、ほっとしております.予想かつきにくい事が多くて、最初からかなり楽天的に考えておりました。それでも前日の台風には、やきもきさせられ、幸い当日の朝の天気の好転て、胸をなでTろしました。それでも、強風のため、遠方からの出席は無理ではないかと不安てした。懇親会は、昨年秋にオブンした大学美術館1階の食堂で行なわれました。出席者は、約70名。準備にあたってくれたスタッフを合わせると100名に近い賑やかなものになリ、会の終わり頃には、外の空間て談笑する姿も見られ、美術館食堂は、程よい懇親会のスペスとなりました。総会後のシンボシウムが予定よりも延長したので、予定の5時30分開催か遅れて、6時15分になったため、こ挨拶をいただく方には、短かめにお願いし、出来るだけ会員相互の懇談の時間をとるようにしました。
まず、新会長に選出された山口勝弘さんのあいさつ。続いて、吉田泰巳さんの乾杯の音頭で会は始 まりました。総会の会場の冷房もない蒸し暑さの中で、皆疲れきみたったので、新装の会場で気分が一新したようでした。食事は、太学美術館2階に昨年秋から軽食部を開いたばかりのホテルオークラにお願いしました。量は、十分ではなかったかもしれませんか、味は、お楽しみいただけたと思います。学会そものもかジャンルを超えた存在なので、会員の方々も初対面の方々同士が多く、会場の雰囲気も、最初は、静かなすべりだしでしたか、時間をおって、和やかさが増してきました。束京はもとより、新潟、京都、神戸、倉敷、三重、下関など、遠方からも多数の出席かありました。会半ばで、中国から参加された敦煌美術研究所の主任研究員を勤める常嘉煌さんのお話をお間きしました。
常さんは、束京芸術大学で学はれ、お父様は、敦煌芸術の研究で知られた方です。流暢な日本語でスケルの大きなお話をして下さいました。その後、私の方から指名させていただき、建築家の清水泰博さんにお願いしました。スタノフの人たちが用意した持ち込みのビール、ワイン、日本酒も進んで、会場も宴たけなわになりましたか、遠方に帰る方々も多いので、最後に副会長に選はれた伊藤隆道さんの閉会の言葉で、8時30分に懇親会をしめくくりました。なによりも無事に環境芸術学会が発会し、和やかな懇親の会かもてたことを皆さんとともに喜ひたいと思います。
最後に、裏方として会の準備にあたってくれた東京芸術大学テサイン科の助手の方々、大学院を中心とした学生の皆さんにお礼を申し上けます。